2013年12月26日

横浜中華街 広東料理 海員閣 小津安二郎の日記から

世界の映画史にその名をとどめる映画監督・小津安二郎は、映画制作に関する事柄、さらに私的な行動などをも含めた日々の記録を、大小の小型手帖、ノート類など計32冊に書き残している。戦前の1933(昭和8年)1月1日から戦後の1963年(昭和38年)8月14日の記入で終るまでの膨大な文章が、タイトル「全日記 小津安二郎」として刊行されている。
その大著のなかから表題の横浜中華街にある「海員閣」について書かれた部分を拾いだしてみた。小津が「海員閣」に足繁く通っていたような表現をする文章が散見されるが、訪問はそれほど多くはない。小津が、1936年(昭和11年)に開業したこの広東料理店を訪れた日を最初に記したのは、1954年(昭和29年)11月。この日が初訪問かどうかは確かでないが、「日記」を通し読む限りでは、「海員閣」の文字が書かれたのはこの日が最初だ。
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中華街大通から香港路を南側に入ると、すぐ左手に右書き表記の「閣員海」の看板が見える。
小津安二郎が訪れた当時のままの扉のように思える。
「日記」から抜粋。
<<1954年(昭和29年)11月7日(日曜) 十時の電車で東神奈川→八王寺(子) それからバスで野猿峠の鎌田烏山にゆく 野田夫妻 ノン スカ 玲 トラ兄妹 セツの九名 帰り横浜にゆき元町→海員閣による>>
<<1955年(昭和30年)4月25日(月曜) 大株の荘丹(牡丹の牡が荘に)みな花咲く 五時四八分の電車で大船から原田 静夫のる 横浜ゆき 南京町海員閣 茂 吉沢 清水来らず 信濃屋にて(略)>>
<<1955年(昭和30年)6月20日(月曜) 入浴 三時頃 高橋貞二と板橋がくる 契約の相談なり 大船に電話して山内を呼ぶ やがてくる (略)高橋のキャデラックで横浜の海員閣にゆく>>
<<1963年(昭和38年)1月30日(水曜)晴 夕方から横浜 海員閣にゆく 小津組スタフ(*ッが無い)の祝賀会 のち 有志とマスカット 帰る>>
以上が、30年間にわたる日記の中で「海員閣」の店名を見出しえた全て(4件だけ)。小津が横須賀線を途中下車して、中華街方面に出る機会は少なかったようで、横浜で記述があるのは、「ホテルニューグランド」について1回あるのみ(*読み落としがあるのは了解を前提で)。

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海員閣で小津は、生馬麺(サンマーメン)を好んで注文していた。恐らくこの店の人気メニュー、シューマイも食していただろう。この生馬麺のスープ(醤油)だが、かなり濃い味付けで辛かった。
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海員閣(カイインカク) 横浜市中区山下町147
営業時間 火〜土曜11:40〜15:00中休み17:00〜20:00
     日曜・祝日11:40〜20:00
定休日 月曜  以上データは2013年現在。

参考:「全日記 小津安二郎」1993年フィルムアート社刊
posted by t.z at 23:56| Comment(0) | 横浜yokohama | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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