情景描写は以上、1行だけです。「夫婦善哉」の舞台(高津から難波周辺)となるエリアはほぼ理解していたつもりでいたのですが、日本橋の御蔵跡(みくらあと)公園??? ピンときません。二ッ井戸の道頓堀川に近い辺りか黒門市場のはずれだろうと見当をつけて地図に拡大鏡をあてるが、小さい公園自体が存在していない。「御蔵」で感ずいたのが、運搬手段となる船舶の利用。東京の浅草周辺から深川一帯では、江戸期を通して川・堀に沿って各藩邸の蔵屋敷(下屋敷)が建ち並び、国許から米などを運びいれていた。道頓堀川から南下する埋め立てられた堀跡のことがすぐに思い浮んできた。黒門市場の東側の民家の玄関脇に置かれたコンクリート製の橋の親柱(末広橋)の写真を撮影したばかり。地図をながめると堀の埋め立て跡は簡単に判断可能・・・・ここでお断り。もったいぶりましたが、結局、探し出せず大阪市中央図書館の助けを借りることに。3階の相談デスクに感謝。
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以下はp47からの抜粋
<<蝶子が親の所へ戻っていると知って、近所の金持から、妾になれと露骨りに言って来た。湯崎にいる柳吉の夢を毎晩見た。ある日、夢見が悪いと気にして、とうとう湯崎まで出掛けて行った。「毎日魚釣りをして淋しく暮している」はずの柳吉が、こともあろうに芸者を揚げて散財していた。むろん酒も飲んでいた。女中を捉えて、根掘り聴くとここ一週間余り毎日のことだという。そんな金がどこからはいるのか、自分の仕送りは宿の払いに精一杯で、煙草代にも困るだろうと済まぬ気がしていたのにと不審に思った。女中の口から、柳吉がたびたび妹に無心していたことが分ると目の前が真暗になった。
柳吉と一緒に大阪へ帰って、日本橋の御蔵跡公園裏に二階借りした。
相変らずヤトナに出た。こんど二階借りをやめて一戸構え、ちゃんとした商売をするようになれば、柳吉の父親もえらい女だと褒めてくれ、天下晴れての夫婦になれるだろうとはげみを出した。その父親はもう十年以上も中風で寝ていて、普通ならとっくに死んでいるところを持ちこたえているだけに、いつ死なぬとも限らず、眼の黒いうちにと蝶子は焦った。>> *ヤトナ=臨時雇いの(芸者に近い)仲居の意
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織田作之助リンク
大阪 北野田の六軒長屋 織田作之助「蚊帳」「高野線」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383884815.html
京都 三嶋亭 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/380550110.html
京都 織田作之助が執筆に使った「千切屋別館」http://zassha.seesaa.net/article/379223394.html
本郷 喫茶店「紫苑」の織田作之助と太宰治http://zassha.seesaa.net/article/381424205.html
大阪 阿倍野 料亭「千とせ」跡 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/382857023.html
大阪 口繩坂 織田作之助「木の都」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/381516708.html
京都 書店そろばんや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/382937234.html
大阪 難波南海通 波屋書房 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/383029592.html
京都 しるこ屋べにや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383338605.html
大阪 難波 雁次郎横丁 織田作之助「世相」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383495231.html
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「御蔵跡公園裏」とういう聞きなれない土地名(大阪住みなら別かも)が疑問を呼び、調べた経過を写真付きで書いた次第です。「夫婦善哉」のモデルである姉千代の店は高津町9番丁にあり、夫婦の最初の所帯は黒門市場内の路地裏の借家2階6畳間にあったといいます。1階に折箱屋がある建物まで探したりしました。「御蔵跡公園裏」という表現は、御蔵跡公園と黒門市場の中間あたりをさす広い範囲の小説表現だと理解しています。織田の短編「ニコ狆先生」も黒門市場内を舞台にしていますが、市場内の具体的描写はほとんどないです。