2014年01月04日

大阪 江戸焼うなぎ 菱冨 小津安二郎の日記から

映画監督小津安二郎が日記に書き記した(実は日記にはその店名は残されておらず、別冊といえる住所録風メモとして使用された2冊の手帳に店名のみが書き込まれている)道頓堀川沿い(宗右衛門町)に明治年間より店を構える「江戸焼うなぎ 菱冨」です。手帳には<菱冨(鰻江戸やき)宗右ェ門町>とだけ横書きで記されている(日付けは無い)。
小津の日記に集中して「大阪」が登場するのは、1961年(昭和36年)6月以降で、6月8日に横浜より「第二こだま」に乗車し、大阪に向っている。大阪で下車し、車で宝塚入り。阪急今津線の宝塚南口駅に近い武庫川南岸の旅館「門樋」に逗留する(P714)。創立10周年を迎える宝塚映画が、松竹の小津安二郎を記念作品「小早川家の秋」(「こはやがわけ」と読み)製作のために招聘したもの。翌日6月9日には神戸元町の「ユーハイム」(旧本店=現アーケードの場所ではない)を訪れており、11日は京都にロケハン、14日は伊丹、19日は大阪の東宝でプレス会見。会見後に「吉兆」に招宴され、夜は北のクラブオータに。21日には城の見える風景をロケハンし、(ガスビル南館の西に本店を構える)美々卯でうどんすき、道頓堀の夜景をみて電車(阪急)で西宮経由で宿に帰っている。この日が「菱冨」に最接近している。23日までにロケハンは終了し、クランクイン(セット撮影の日が多くなる)を迎えている。宝塚を拠点にして関西圏に、9月まで滞在していたが、日記には「菱冨」の店名記入は無いまま。確証ある訪問日は不明。
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小津が跳ね上げただろう暖簾の位置を想って店内に 右写真は1階のテーブル席 2階が和室座敷席で写真右奥に下足棚がある 
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(左写真)鰻重(特上だったかな? 撮影2012年)関東風に蒸しが入っているのでふっくらしている 小津が何を注文したか不明 菱富名物の「う巻」(鰻の卵巻き)は食したはずと想像(1本8切1470円)

大阪市中央区宗右衛門町7-6 菱富ビル
営業時間 11時30分〜21時
定休日 木曜(7月・12月は営業)

*参考 「全日記 小津安二郎」フィルムアート社
    「小津安二郎 東京グルメ案内」(巻末付録の「グルメ手帖」)朝日文庫
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posted by t.z at 23:54| Comment(0) | 大阪osaka | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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