2014年01月18日

鎌倉 釈迦堂ヶ谷 「澁澤龍彦との日々」から

<<桜も散った春の一日、逗子の友人宅からハイランドを通って、「黄金やぐら」「日月やぐら」「唐糸やぐら」などをめぐり、釈迦堂切通しを経て帰ってきたこともありました。>>
  澁澤龍子「澁澤龍彦との日々」の一節より抜粋。

8年を費やし、最高裁まで争われた「サド裁判」の主役・澁澤龍彦が、北鎌倉に新居を構えたのは1966年(昭和41年)の8月であった。その後、前夫人との離婚を経て、1969年(昭和44年)11月24日に前川龍子と再婚をはたした。逗子の友人宅から、北鎌倉の山ノ内の自宅までの長い道程を歩いたのは、それゆえ1970年以降の春ということになる。澁澤は、1969年10月の「サド裁判」の終結後は、たまの国内外旅行に足を運ぶ以外は、北鎌倉の自宅に閉じこもる生活を送っていた。機会を見付けては、鎌倉市街を取り囲む山々を夫人を伴い巡り歩くこともあったようだ。
逗子方面から大町6丁目を通り、北側の浄明寺1丁目に抜ける途中に忽然とあらわれる切通しが、鎌倉でも最大規模の「釈迦堂切通し」だ。深閑とした山間に人の声はなく、時たま鳥の囀りが聞こえるだけ。澁澤と夫人が仰ぎ見た「釈迦堂切通し」は、今も変わらずその姿を保っている。(澁澤夫妻が歩いた年月日は不明、道路の舗装は当時とは変わっているはず)
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浄明寺側から沢状の未舗装道を上ると、右カーブの先に突然あらわれる素掘りの隧道。そのスケールの大きさにおもわず立ちすくむ。 (右写真)大町側には通行止めの表示板が置かれている。 2013年現在、完全に通行禁止の柵が設置されているようだ。撮影は2009年10月。
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杉本観音(杉本寺)から滑川を越え、釈迦堂(浄明寺)方向に進むと、左写真の説明板が置かれている。右写真は説明板の場所から釈迦堂切通しへの細い砂利道。
参考
「澁澤龍彦 新潮日本文学アルバム」1993年刊
「澁澤龍彦との日々」澁澤龍子(りゅうこ)2005年刊
posted by y.s at 23:31| Comment(0) | 鎌倉kamakura | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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