2014年01月20日

大阪 木の實 織田作之助の短編「大阪発見」から

表題の「木の實(このみ)」が登場する織田作之助の短編「大阪発見」を紹介する前に、織田作の旧友(三高時代から死に水を取るまで)である青山光二の著作「純血無頼派の生きた時代」の中に一章(「山椒焼きとステーキ」)を設けてまで紹介しているので、そちらを先にする。
<<戎橋筋の、とある路地の「木の実」という細長い小店で、毎日のように”牛肉の山椒焼き”というのを食べた。織田が見つけて、私をその店へひっぱって行ったのだ。というのが、私が牛肉を好まないのを知っていて、これなら厭とは云うまいと思ったらしいのだ。そして結果は、厭と云うどころか私は”牛肉の山椒焼き”の病みつきになってしまったのである。昭和十一年の夏にかかる頃ではなかったかと思う。(略) 大阪で待ちかまえている織田作之助と二人でミナミの盛り場をうろつき歩いていた。説をなす人があって、食通とは大食家の謂(いい)だと書いているのを読んだ記憶があるが、その説に当てはめると、作之助も小生も食通ではなかった。栄養のある食物を少なく食べるのが、洒落れた食生活だと思っていた。「木の実」の”牛肉の山椒焼き”は、まさにその手の食通に向いていたのである。>>
織田作と青山が、食事時となると「木の実」の”山椒焼き”に足を運んだのは理由があった。「付け」がきいたからと青山は続けて述べている。近く(なんば南海通り)の波屋書房での「付け」と同じで、親代わりとなっていた長姉の夫である電気商の竹中国治郎が「付け」の始末をしていたのである。青山は、千日前の「千成」「鮨捨」でも「付け」がきいたと書いている。
織田作が「木の実」をどのように作品に表現したかを、「織田作之助全集第8巻」(講談社 1970年刊)に収められている短編「大阪発見」(P233〜239)から抜粋。
<< 「月ヶ瀬」は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。(P234)(略)けれども今もなお私は「月ヶ瀬」のぶぶ漬に食指を感ずるのである。そこの横丁にある「木の実」へ牛肉の山椒焼や焼うどんや肝とセロリーのバタ焼などを食べに行くたびに、三度のうち一度ぐらいはぶぶ漬を食べて見ようかとふと思うのは、そのぶぶ漬の味がよいというのではなく、しるこ屋でぶぶ漬を売るということや、文楽芝居のようなお櫃に何となく大阪を感ずるからである。(P235)>> *ぶぶ漬=ぶぶは湯の意でお湯漬け
「木の実」に興味を抱き始めたのはいいのだが、織田作も青山も<戎橋筋の、とある路地><月ヶ瀬、そこの横丁にある「木の実」>と簡潔すぎる紹介しかしていない。とりあえず店名をネット検索してみる、が該当無し。難波一帯は昭和20年の空襲で丸焼けになり灰燼に帰している。おそらく再開することもなく消えて行ったのだろう。頼りは「大阪春秋」誌とばかりに、100号以上の目次を追うが該当すると思える項目は見当たらない(織田作特集号でも除外)。結果を述べると、地図を作成できるぐらいには突き止めました。「カフェー考現学」2004年刊という分厚い単行本を何気に図書館で手にとってみると、資料として昭和初期の「カフェ・ニュース」第1号のカフェー広告が掲載されており、30軒以上のカフェー名の中に「木の實」があったのです。広告<ひきたてコーヒー 木の實 木の實ライス>。おおまかな案内地図も載っており、あとは住所調べをするだけ。そうなると「大阪市及近郊電話番號簿」(昭和13年版)です。調べた結果は<電話 戎76ー1453 南区難波新地4番5 谷垣三郎(たぶん経営者) 職種 とんかつ>。あとは戦前の南区の地図を探すだけ。
konomi01.JPG  konomi02.JPG
左右写真とも下の地図の赤丸の場所 左は東から 右は逆の西を背にした方向から 現在のナンバ一番ビルの西端ぐらいの位置に木の實が存在したと思えます
 konomi03.jpg   konomi04.jpg
参考
「純血無頼派の生きた時代」青山光二2001年刊
「大阪市及近郊電話番號簿」昭和13年版
*青山光二著「織田作之助 青春の賭け」講談社文芸文庫においても、より簡潔に「木の実」について述べている箇所(P131)があります。
 
織田作之助リンク
大阪 北野田の六軒長屋 織田作之助「蚊帳」「高野線」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383884815.html
京都 三嶋亭 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/380550110.html
京都 織田作之助が執筆に使った「千切屋別館」http://zassha.seesaa.net/article/379223394.html
本郷 喫茶店「紫苑」の織田作之助と太宰治http://zassha.seesaa.net/article/381424205.html
大阪 阿倍野 料亭「千とせ」跡 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/382857023.html
大阪 口繩坂 織田作之助「木の都」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/381516708.html
京都 書店そろばんや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/382937234.html
大阪 難波南海通 波屋書房 織田作之助http://zassha.seesaa.net/article/383029592.html
京都 しるこ屋べにや 織田作之助「それでも私は行く」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383338605.html
大阪 難波 雁次郎横丁 織田作之助「世相」からhttp://zassha.seesaa.net/article/383495231.html
大阪 御蔵跡公園 織田作之助「夫婦善哉」からhttp://zassha.seesaa.net/article/384046960.html
【関連する記事】
posted by t.z at 23:43| Comment(0) | 大阪osaka | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。