1月15日(火)
監督協会役員会 夜半 大船撮影所本館 全焼
<大船撮影所に火災が発生し、事務所本館が全焼した。当時その監督室を起居の場としていた小津先生は、大切な私物をそこでかなり失った。(略)昭和十四年(1939)の軍隊からの帰還から昭和二十五年(1950)までの日記は現存しない。(略)極めて重要な部分が欠落しているのは、恐らくこの撮影所の火災によって焼失してしまったのではないかと思われる。>「松竹大船撮影所覚え書」山内静夫2003年刊より
2月11日(月)
北鎌倉に売家ある由 森と清水毎日記者 差配津島と家を見にゆく 道わるし 好々亭で昼めしをくひ 皆で月ヶ瀬にゆく 酩酊 茅ヶ崎に帰る
*好々亭=北鎌倉の会席料理店 *月ヶ瀬=大船撮影所正面ゲート近くの食堂(経営者の姪・益子さんは俳優佐田啓二と結婚し、中井貴惠と弟貴一を産む。小津安二郎が貴一の名付け親)
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2月27日(水)
朝めしをぬいて野田氏と北鎌倉の家を見にゆく 母 有記子 森くる 家主 津島くる 小倉遊亀さんも来られる とにかく買ふことにして手金を入れる (略)母と有記子の三人森泊 P312
*森=森栄(さかえ)のこと 小田原の待合で知った芸者千丸の本名で小津の愛人となる 昭和14年刊の川崎長太郎の小説「裸木」に登場する 戦後すぐに築地で旅館「森」を営む 森泊とはそこの旅館に宿したの意 *小倉遊亀(ゆき)=女流画家で新居の隣人となる(平成12年に逝去)*有記子=小津の妹登久(とく)
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2月29日(金)
この日より<お茶漬の味>書き始める
3月1日(土)
朝 久米正雄氏逝去の由 益子から電話かかる
3月4日(火)
十二時五分で野田さんと三汀久米正雄の告別式にゆく(略)鎌倉駅で益子に会ひ山内の家をみる バスで大船にゆくP313
*告別式場は鎌倉市民座で
3月10日(月)
どしゃぶりの雨に目をさます 家の登記を森してくれる 益子金をもつてゆく(略)夕食 茶めし 大根の煮付け ひれ酒 森夕めしののち帰る
4月1日(火)
午後十一時 すべての<お茶漬の味>脱稿する
4月6日(日)
月ヶ瀬に荷物一部運ぶ 大船からバスで山内の家に兄とゆく(略)
4月19日(土)
(略)信三と北鎌倉の家をみにゆく チュリップ 山吹が美しい バスで大船に出て月ヶ瀬 茅ヶ崎泊
*茅ヶ崎泊=昭和12年より脚本家野田高梧らと脚本執筆の場として使用した茅ヶ崎海岸近くの常宿・茅ヶ崎館(現在も営業中)
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5月2日(金)
引越 *鎌倉市山ノ内1445番
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5月15日(木)
この日 山内にて初めて蝉(せみ)なく
5月23日(金)
あさゑ誕生日 満七十七
参考
「全日記 小津安二郎」フィルムアート社1993年刊
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