2014年03月01日

北鎌倉 小津安二郎 山ノ内の新居(終焉の地) 「日記」から

1952年(昭和27年)
 1月15日(火)
監督協会役員会 夜半 大船撮影所本館 全焼
<大船撮影所に火災が発生し、事務所本館が全焼した。当時その監督室を起居の場としていた小津先生は、大切な私物をそこでかなり失った。(略)昭和十四年(1939)の軍隊からの帰還から昭和二十五年(1950)までの日記は現存しない。(略)極めて重要な部分が欠落しているのは、恐らくこの撮影所の火災によって焼失してしまったのではないかと思われる。>「松竹大船撮影所覚え書」山内静夫2003年刊より     

 2月11日(月)
北鎌倉に売家ある由 森と清水毎日記者 差配津島と家を見にゆく 道わるし 好々亭で昼めしをくひ 皆で月ヶ瀬にゆく 酩酊 茅ヶ崎に帰る
*好々亭=北鎌倉の会席料理店 *月ヶ瀬=大船撮影所正面ゲート近くの食堂(経営者の姪・益子さんは俳優佐田啓二と結婚し、中井貴惠と弟貴一を産む。小津安二郎が貴一の名付け親)
yamanoozu13.jpg   yamanoozu14.jpg
JR北鎌倉駅から大船方向に線路沿い(作家高見順の家がある東側)をしばらく歩くと(左写真)店名「好々亭」を装った隧道に着く (右写真)隧道を抜けると数台分の駐車場 店はさらに坂道を上がったところにあった(閉店)

 2月27日(水)
朝めしをぬいて野田氏と北鎌倉の家を見にゆく 母 有記子 森くる 家主 津島くる 小倉遊亀さんも来られる とにかく買ふことにして手金を入れる (略)母と有記子の三人森泊 P312
*森=森栄(さかえ)のこと 小田原の待合で知った芸者千丸の本名で小津の愛人となる 昭和14年刊の川崎長太郎の小説「裸木」に登場する 戦後すぐに築地で旅館「森」を営む 森泊とはそこの旅館に宿したの意 *小倉遊亀(ゆき)=女流画家で新居の隣人となる(平成12年に逝去)*有記子=小津の妹登久(とく)
yamanoozu01.jpg  yamanoozu02.jpg
北鎌倉・浄智寺脇の閑静な小径 深緑の森の中 ゆるい上り坂を進むと この日 手付金をうった「北鎌倉の家」に着く

 2月29日(金)
この日より<お茶漬の味>書き始める

 3月1日(土)
朝 久米正雄氏逝去の由 益子から電話かかる

 3月4日(火)
十二時五分で野田さんと三汀久米正雄の告別式にゆく(略)鎌倉駅で益子に会ひ山内の家をみる バスで大船にゆくP313
*告別式場は鎌倉市民座で

 3月10日(月)
どしゃぶりの雨に目をさます 家の登記を森してくれる 益子金をもつてゆく(略)夕食 茶めし 大根の煮付け ひれ酒 森夕めしののち帰る

 4月1日(火)
午後十一時 すべての<お茶漬の味>脱稿する

 4月6日(日)
月ヶ瀬に荷物一部運ぶ 大船からバスで山内の家に兄とゆく(略)

 4月19日(土)
(略)信三と北鎌倉の家をみにゆく チュリップ 山吹が美しい バスで大船に出て月ヶ瀬 茅ヶ崎泊
*茅ヶ崎泊=昭和12年より脚本家野田高梧らと脚本執筆の場として使用した茅ヶ崎海岸近くの常宿・茅ヶ崎館(現在も営業中)
chigasakikan01.jpg   chigasakikan02.jpg
旅館茅ヶ崎館 北側の正面玄関 (右写真)茅ヶ崎館の海岸口

 5月2日(金)
引越 *鎌倉市山ノ内1445番
yamanoozu03.jpg  yamanoozu04.jpg
この路地に折れると小津の新居だが そこには人一人が通れる隧道がある 中央部が突起状(隧道内の水捌けのため)に掘られている この位置から奥は私有地(普段は細竹を渡して無断立入りを拒否している 住居侵入した上に写真撮影してネット公開している人がいる しかも小倉家の玄関を) この鎌倉らしい隧道を眺めていると大柄な小津監督が腰を屈めて足早にくぐり抜ける姿が思い浮かぶ
yamanoozu05.jpg  yamanoozu06.jpg
隧道を抜けた先の山ノ内1445番の地図を作成 くぐり抜けて左側にある細い坂道を左カーブで上った先が小津安二郎と母あさゑさんが暮らした家です

 5月15日(木)
この日 山内にて初めて蝉(せみ)なく

 5月23日(金)
あさゑ誕生日 満七十七

参考
「全日記 小津安二郎」フィルムアート社1993年刊
posted by y.s at 02:47| Comment(0) | 関東各地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。