<翌朝、中山図書館長さんの来訪をうけ、このかたの案内で、私は篠山市内を見物してまわった。なんといっても、感動したのは城跡の見事さである。美しい石垣だけをのこした城郭は、昔のままだった。城閣こそないけれど、石垣をめぐる外濠、この城だけに残っているといわれる馬出の土塁が、蓮の葉のまばらに浮んだ濠にかこまれて、欝蒼たる枡形(ますがた)の松林をみせている。土塁と濠との静かなたたずまいは、町の中心部に厳然とあるだけに、ああ、篠山は、この城と共に生き、この城の古さと共に在るのだなという感じがふかい。(*以降は中山図書館長の話)「この城は、別名桐ヶ城といわれました。松平康重の築城で、二条城の遠侍の間を模倣したといわれる大書院も建っていました。天守閣はもともとなかったそうです。篠山は、もと八上(やがみ)に城がありまして、関が原戦以後に、家康が西国の外様を抑える目的で、篠山の地を重要視して、自分の実子である親藩格の松平をこの地に封じたのです。八上城を廃してここに築城させたわけです。天下普請といわれるこの城の工事は大々的で、突貫工事だったそうです。(略)>
かたわらにいる水上勉に中山さんの熱っぽい説明はまだまだ続く。水上は「ここには、昔からの花街はなかったんですか」と図書館長に質問する。篠山連隊といわれた兵隊のために繁栄した遊郭の話が紹介されるが、「阿部定」の話題はもちろんここには出てこない。その遊郭(京口新地)があった場所は、篠山城址から東方に数キロ離れた田圃の中。図書館長が説明した「廃された八上城」は、元遊郭のあった町並みの背後に遠く霞む高城山(朝路山)に築かれていた。連郭式山城で戦国時代の凄惨な記憶をまとって現在までその遺構を残している。八上城は、廃城と決まった後、1609年(慶長14年)3月9日の篠山城着工に際し、多くの資材(石垣など)を提供することになる。
八上城の「凄惨な記憶」を「信長公記」から拾いだしてみる。
(巻十一)の天正六年十二月十一日の日付けが記された後から<維任(これとふ)日向守(=明智光秀)は直に丹波へ相働き、波多野が館取巻き、四方三里がまはりを維任一身の手勢を以て取巻き、堀をほり塀・柵幾重(いくへ)も付けさせ、透間もなく塀際に諸卒町屋作に小屋を懸けさせ、其上、廻番を丈夫に、警固を申付けられ、誠に獣の通ひもなく在陣候なり。>
播磨(兵庫県)に出陣していた明智光秀は、丹波の八上城攻略の命をうけ、ただちに配下の軍勢を率いて反織田の波多野氏が籠もる八上城に取掛る。堀を掘った上に幾十にも柵を立て、小屋を透間なく建並べて完全包囲して駐留し、山城に籠もる敵勢全てを餓死させる作戦に入る。この包囲状態が半年間続いた後の翌天正七年六月 <去程に、丹波国波多野の館、去年より維任日向守押詰取巻き、(略)責められ候。籠城の者既に餓死に及び、初めは草木の葉を食とし、後には牛馬を食し、了簡尽果無体に罷出候を悉く切捨、波多野兄弟三人の者調略を以て召捕り、六月四日、安土へ進上。則、慈恩寺町末に三人の者張付に懸けさせられ、さすが思切りて、前後神妙の由候。>
光秀勢は餓死せず生き残っているものを残らず切り殺し、波多野氏の血筋も安土城に送った上で実験にかけ城下で根絶やしにしている(「凄惨な記憶」と書いたがこの時代には枚挙に暇がないほど大量虐殺の伝えが残されている)。すでに天下の趨勢が決したあとに築城された篠山城には、実戦の気配は書き残されていないが、石垣などの一部には戦国の記憶(八上城の資材)が染み込んでいる。
水上勉は、篠山城の大手門筋(城の北側)の旅館「潯陽」に宿泊し、旧(ふる)い城址、濠、それを取り囲む茅葺(かやぶき)屋根の武家屋敷群を散策し、その印象を書きとめている。最後に<(そうだ、わたしは、これから、暇をみてこの城を見にこよう)と思った。篠山は古城跡の生きている珍しい町である。>
参考
「負籠(おいご)の細道」水上勉1965年6月中央公論社刊(集英社文庫版は1997年刊)
「織田信長家臣人名辞典」1995年刊
「戦国合戦大事典6」1989年刊
「日本城郭体系12」1981年刊
兵庫・篠山市 阿部定の足跡 京口新地http://zassha.seesaa.net/article/313095541.html
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