2014年4月9日、国土地理院が仙台市の日和山(ひよりやま)を標高3m(1m以下は四捨五入)と測量・確認したため、大阪市港区築港の日本一低い山「天保山」(てんぽうざん)(4.53m)は、その座を譲ることになった。日和山が東日本大震災の大津波によって浸蝕・削平を受け、かっての標高6mが大幅に低くなってしまったため。
かっての日本一低い山「天保山」の位置(○印) 天保山公園の見晴台など築山に隠れている 天保山渡船乗り場や遠くユニバーサルスタジオジャパン(左奥)が望める(天保山大観覧車から)
天保山公園(1958年開設)の南東側入り口付近の石柱 天保山の位置は公園の北側だ 公園内には天保山より高い築山が多く存在するため戸惑う
(左写真)山頂位置の2等三角点 何処って・・国土地理院の白い標柱の所 (右写真)看板に横棒1本書き足せば「日本二」にするのは簡単
安治川河口で1831年(天保2年)より「天保の大川浚」と称される浚渫工事が始まり その土砂を利用して20mほどの築山が築かれた 工事時の元号から後年に「天保山」と銘銘される (右写真)1849年(嘉永2年)幕府は外国船が次々と沿海に現れる中 河口防衛のため天保山に砲台を築く この150POUND砲は薩摩藩鋳造の青銅製加農(キャノン)砲で天保山砲台に設置されていた 口径29c・全長4.22m 現在は靖国神社内の遊就館玄関脇に展示されている この砲台築造のため20mほどの築山は崩され明治初頭には7.2mほどの高さとなっている
天保山船客ターミナル側の入り口(西口=上左写真)に展示されている陶板画 左は歌川貞升(さだます)画の「浪花天保山風景」 右は初代歌川広重の画「本朝名所 大坂天保山」 江戸期には山らしい山だった