この「ハンカチの木」は、小石川植物園の山中寅文(東大農学部技術専門員)から、作家・幸田文に譲られた木であるが、伝通院東辺の善光寺坂の自宅に根を下すものの、文は生前、ついにその木の開花を目にするすることはなかった。説明板(文京区教育委員会設置)に、幸田文の長女(露伴の孫)で随筆家の青木玉(84歳)の「縁のある木」(平成16年1月)と題された一文が添えられている。<この木はたまたま私の家の庭に根を下してから開花を迎えるまで、実に二十年近い年月を過した。(略)(母は)木を贈られた日は初花を楽しみにしたが、平成二年他界し、ついに花を見ることはなく、私は花を待つことを忘れた。> その後、2002年(平成14年)12月になり、<母から私に引き継がれたこの木が、新しい場所で、更に多くの方々との御縁を結ぶよう心から願って止まない。>と青木玉は「ハンカチの木」をこの公園に寄贈した。
露伴の娘・幸田文(こうだあや)が離縁し、1人娘の玉を連れてこの地に転居してきたのは1938年(昭和13年)。玉は9歳であった。幸田文は「ハンカチの木」の開花を見ることなく1990年10月31日に86歳で逝去。現在、玉は84歳。玉の娘(長女)で随筆家の青木奈緒はすぐ近所に住んでいる。
明治中期、椋の大樹を見上げながら善光寺坂を足しげく通る小柄な若い娘がいた。本郷から源覚寺(こんにゃくえんま)前を右折し、伝通院参道から安藤坂を下る途中の中島歌子主宰の歌塾・萩の舎(はぎのや)に通う樋口一葉(夏子)であった。一葉が見上げた頃は緑の葉を枝いっぱいにたたえた巨木であっただろう。
参考
文京区教育委員会「ハンカチの木」説明板
東京新聞2010年3月31日付け朝刊
野田宇太郎「新東京文学散歩」
青木玉「小石川の家」
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