2014年04月17日

小石川 幸田文のハンカチの木と蝸牛庵

明治の文豪・幸田露伴の娘・幸田文(あや)ゆかりの「ハンカチの木」(ダビディアDAVIDIA)が、文京区春日1丁目の礫川(れきせん)公園の1画で、まもなく開花し、花についた白い大きな苞(ほう)葉が風に揺れる光景を目にすることができる。
この「ハンカチの木」は、小石川植物園の山中寅文(東大農学部技術専門員)から、作家・幸田文に譲られた木であるが、伝通院東辺の善光寺坂の自宅に根を下すものの、文は生前、ついにその木の開花を目にするすることはなかった。説明板(文京区教育委員会設置)に、幸田文の長女(露伴の孫)で随筆家の青木玉(84歳)の「縁のある木」(平成16年1月)と題された一文が添えられている。<この木はたまたま私の家の庭に根を下してから開花を迎えるまで、実に二十年近い年月を過した。(略)(母は)木を贈られた日は初花を楽しみにしたが、平成二年他界し、ついに花を見ることはなく、私は花を待つことを忘れた。> その後、2002年(平成14年)12月になり、<母から私に引き継がれたこの木が、新しい場所で、更に多くの方々との御縁を結ぶよう心から願って止まない。>と青木玉は「ハンカチの木」をこの公園に寄贈した。
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  幸田文ゆかりのハンカチの木 白い大きな苞葉が風に揺れる 撮影2010年5月初旬
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緑葉に漏れる日差しに白色がより輝く苞葉 このめずらしい木の開花は4月下旬から5月にかけてである (右写真)落葉樹のため冬季は裸木となる

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(左写真)伝通院東辺の幸田露伴旧邸(蝸牛庵)・現青木邸 慈眼院西側角で善光寺坂に面している この旧邸の庭から「ハンカチの木」は移植された (右写真)露伴旧邸の目前にある善光寺坂の椋(むく)の老樹 露伴が榎(えのき)と思い込んでいたというエピソードがある 元の高さは25mほどであったが昭和20年5月の空襲で露伴邸も炎上 その炎は木の北側面を焼き焦がし上部は朽ち枯れてしまった しめ縄が巻かれたこの神木には「祟(たた)り伝説」が囁かれる(道路の真ん中にある為、伐採工事に取り掛かると関係者に不幸が相次ぐのだ)

露伴の娘・幸田文(こうだあや)が離縁し、1人娘の玉を連れてこの地に転居してきたのは1938年(昭和13年)。玉は9歳であった。幸田文は「ハンカチの木」の開花を見ることなく1990年10月31日に86歳で逝去。現在、玉は84歳。玉の娘(長女)で随筆家の青木奈緒はすぐ近所に住んでいる。
明治中期、椋の大樹を見上げながら善光寺坂を足しげく通る小柄な若い娘がいた。本郷から源覚寺(こんにゃくえんま)前を右折し、伝通院参道から安藤坂を下る途中の中島歌子主宰の歌塾・萩の舎(はぎのや)に通う樋口一葉(夏子)であった。一葉が見上げた頃は緑の葉を枝いっぱいにたたえた巨木であっただろう。

参考
文京区教育委員会「ハンカチの木」説明板
東京新聞2010年3月31日付け朝刊
野田宇太郎「新東京文学散歩」
青木玉「小石川の家」
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posted by t.z at 01:00| Comment(0) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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