1920年(大正9年)の初冬、二人そろって京都祇園に近い宮川町遊郭に<芥川龍之介の主導>で登楼している。その際の顛末記です。
ネタ元は、宇野浩二の評伝「芥川龍之介」。かなり詳細に記されている芥川龍之介の年譜を繰ってみても、「宮川町遊郭」の文字は表われてこない。下世話な記述は省いているのだろう。
芥川と宇野が出会ったのは、前年(大正8年)7月下旬の万世橋駅2階の料理店「みかど」で催された江口渙(えぐちかん)の第一短編集「赤い矢帆」の出版記念会の席で、この京都での遊興の頃には、1年4ヶ月ほどが経っている。
大正9年11月16日から、芥川龍之介(29歳)と宇野浩二(29歳)は、久米正雄や菊池寛(文芸春秋社創設)、田中純らと共に、主観社の主催で関西講演旅行に出かける。コーディネーターは編集者の植村宗一(後の直木三十五)で、場所は大阪・中之島中央公会堂であった。19日に芥川龍之介は「偶感」と題して講演を行うが、宇野は一度も壇上に立っていない。文芸講演の予定が終了した21日夜7時頃、一行は京都に着く。ここで芥川と宇野の二人は、先斗町(ぽんとちょう)の茶屋に直行する。知人と合流し、その茶屋に泊る手筈であったのだが。その後・・・・。
<せまい先斗町を南のほうへあるきながら、私が、無言で私の半歩ほど前を早足であるいて行く芥川に、「どこか、とまるとこ、知ってる、・・・・どんな宿屋でもいいよ、」と、いふと、芥川はしだいに足を早めてあるきながら、ちょいと私の方をふりむいて、「宮川町へ行かう、」と、いった。>
*引用はすべて宇野浩二の評伝「芥川龍之介」から。先斗町と宮川町の位置は下の地図を参照してください。
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<ところが、芥川は、四條大橋をわたってから、すぐ右へまがらずに、まっすぐに、南座の前をとほり、縄手通りを横ぎり、祇園新地を東の方へ、すすんで行った。さうして、縄手通りから半町ほど行った四つ辻の右の手前の角の、軒につるした赤い細長い提燈とうす暗い陳列窓に妙な特徴のある、うすぐらい、何ともいへぬ異様な感じのする、家のなかに、芥川は、つかつかと、はひって行った。>
<芥川は、その家で、自分は、張型(「ハリカタ」)といふものを買ひ、私には、「君は、大いに刺激させる必要がありさうだから、・・・・・」と、いって、「アポロン」といふ薬を買ふことをすすめた。「張型」は、茶色のゴムで、形は懐中電燈の形であるが、大きさは、懐中電燈の半分ぐらゐである。(しかし、芥川は、その翌日の昼頃、新京極の喫茶店の隅で、それを私に見せながら、「これに湯を入れると、この倍ぐらゐになるよ、」といった。)>
芥川が入ったのは「四目屋」という現在では精力剤や大人のおもちゃを売る18禁アダルトグッズの店なのだ。縄手通(大和大路通)から半町(約50m強)ほどの京土産屋などが居並ぶ商店街を一応は探してみたが・・・。芥川がその店で買ったものは、張形(現在の呼称はディルド・電動が主流)、しかも翌日、眼光鋭い鬼才・芥川龍之介と文学の鬼・宇野浩二が喫茶店の片隅でひそひそ話・・・何を話しているのかというと、張形の品評会。
<さて、四目屋を出ると、芥川は、無言で、道をいそいだ。(略)やがて、宮川町に来た。宮川町の茶屋は、どの家も、三階だてで、しかも、一階も、二階も、三階も、みな、細目の格子づくりである。さうして、それらの家家は、両側に、すき間なしに、たってゐる。(略)芥川は、宮川町にさしかかってから半町の半分ほども行かないうちに、右側の一軒の茶屋の格子戸をあけて、すばやく、中に、はひった。しぜん、私も、芥川のあとから、つづゐた。>
<やがて、三十分ぐらゐしてから、二人の女が、三分ほどのちがひで、前後して、(三階の部屋に)あらはれた。(略)芥川が、私のそばに来て、私の耳もとで、「君、わすれないで、さっきの「クスリ」を、のめよ、と、いった。それから、芥川は、部屋の隅の方でちょこなんと座ってゐる二人の女のうちの瘠(や)せた女の方にむかって、「おい、ゆかうか、」と、いふと一しょに、立ちあがった。さうして、芥川は、私の方をむいて、「ぢゃ、しつけ、」と、いひのこして、さっさと、部屋を、出ていった。すると、やせた女は、あとに残された者になんの挨拶もしないで、芥川のあとを追ふやうに、これも、さっさと、出ていった。>
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ここで宇野は、前日、大阪の堀江で菊池寛と散歩中に彼が「アポロン」を買ったことを思い出す。菊池はカン高い声で「きかなかったら、定量の二倍でも三倍でものむほうがいい」と言っていたことを。
<芥川の選択によって私にのこされた女は、芥川の女とはなにからなにまで反対で、背のひくい、まるまると太った、女であった。> そして、女の目をぬすんで、宇野は「アポロン」を定量の三倍、菊池寛の助言通りに飲み込む。宇野は、越後生まれの太った女にハダカにされた頃、異様な尿意をもよおしはじめる。宇野は三階の部屋で尿意を我慢できず、地下の便所まで四階分の階段を下りる。また、三階の部屋まで戻ると、すぐさま尿意に襲われる。太った女を振り払い、またしても地下まで下る、芥川の部屋のほうからは「アッッ」と女の声が。宇野は、度重なる四階分の階段の上り下りに、ついに疲労困憊し、階段をはいずりはじめ、途中の階の空き部屋に倒れ込み、眠ってしまう。
<目をさまして、地下室の便所にはひった時、ふと、窓ガラスをすかして、見ると、すぐ目の下に、加茂川の水が(琵琶湖疎水の水が、)冷たい色をして、はげしい勢ひで、ながれてゐる。>
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翌朝、芥川と宇野は茶屋をでて、四条大橋を西側に渡り、四条通から烏丸通へと歩き、歩き疲れて新京極の盛り場にある喫茶店に入った。この頃には、出そうで出ない苦しみは次第にうすらぎ、宇野は、昨夜の困った話を長々と詳細に芥川に語る。宇野がその辛かった症状を語る間、芥川はニヤニヤ笑いを頬に浮かべている。芥川は「アポロンを定量の三倍はのんだのだろう」とずばりと言い当てる。芥川は「菊池も昨夜、同じような症状に悩まされたかもしれないよ」と茶目らしい笑い方をするのだ。ここではじめて、「おれも、やった事があるからだ」と芥川は白状するのだった。
<ところで、昨夜、君の部屋の方で、夜中に、アツツ、といふような声が、聞こえたが、あの、アツツといふのは、何だ。」「あれか、・・・・」と、芥川は苦笑しながら、いった。「あれは、君、ハリガタにいれた湯が熱すぎたので、ちょいと吾妹(わぎも=女)が悲鳴をあげたんだよ。・・・・」>
最悪のコンビである。芥川はお湯を入れて肌温にして使用する張型に熱湯を注いで女に挿入する失態、宇野は芥川にだまされて、精力剤を定量の3倍を飲んで体調異変。さらに芥川は、文芸春秋社(芥川賞・直木賞主催)を創設した親友・菊池寛についても、「アポロン」以外にもその性癖を暴露している。話が「女買い」から脱線してしまうので、別の項目でということにする。これは伏せておきたかったが、宇野浩二は11月6日に大阪・宋右衛門町から転籍し、11月16日に村田キヌ(絹子)を入籍させている。その5日後に「アポロン」事件を起こしたのだ。
参照
「宇野浩二全集 第十一巻」(「芥川龍之介」)中央公論社1973年刊
「芥川龍之介 作家読本」河出書房新社1992年刊
リンク
湘南・鵠沼 旅館東屋での狂気の交差 宇野浩二と芥川龍之介http://zassha.seesaa.net/article/386256370.html
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