
(写真)羅城門遺址碑(明治28年3月建立)。羅城門があった九条大路(12丈=約36m幅)は、ほぼ失われ、住宅街となっている。壮大な羅城門の西端部分にあたる位置に現在、花園児童公園が設けられており、遺址碑が建っている。現在の住居表示は、京都市南区唐橋羅城門町。
「今昔物語集6 本朝部」東洋文庫1968年平凡社刊より
巻第二十九「羅城門の上の層に登り死人を見た盗人の語(こと)第十八」
<<今は昔、摂津国(大阪府北西部・兵庫県南東部)のあたりから、盗みをするつもりで京へ上ってきた男が、日がまだ暮れないので、羅城門の下に隠れて立っていた。朱雀大路の方へ人々が頻繁に通っていくので、人通りが静まるまでと思って門の下に立って待っていたが、そのうち、山城(京都府南東部)の方から大勢の人が近づいて来る音がしたので、彼らに見られまいと思って、門の二階にそっとよじ登った。見ると、燈火が小さくともしてある。
盗人が不審に思って連子窓(れんじまど)からのぞいて見ると、若い女の死体が横たわっている。その枕もとに火をともして、ひどく年老いた白髪頭の老婆が、その死体の枕もとに坐り込み、死体の髪の毛を手荒く抜き取っているのだった。
盗人はこれを見ると、どうも合点がいかず、もしや鬼ではあるまいかと恐ろしくなったが、ひょっとしたら死人が生き返ったのかもしれぬ、ひとつ、おどかして試してやろうと思い、そっと戸を開けて、刀を抜き、
「こいつめ、こいつめ」と言って走り寄った。
すると、老婆はあわてふためき、手をすりあわせてうろたえる。盗人が、
「お前は何者だ。婆はなにをしているのだ」と尋ねると、老婆は、
「私の主人であられました方が亡くなられまして、葬いなど始末をしてくれる人もありませんので、こうして、ここにお置きしているのでございます。その御髪が丈(たけ)に余るほど長いものですから、それを抜き取って鬘(かつら)にしようと抜いておりました。どうぞお助けくだされ」と言う。
そこでこの盗人は、死人の着ている着物と老婆の着衣とを剥ぎ取り、抜き取ってあった髪の毛まで奪い取って、駆け下りて逃げていった。
ところで、その門の二階には死人の骸骨がごろごろしていた。葬式などの出せない死人を、この門の上に捨てて置いたからである。このことは、その盗人が人に語ったのを聞き継いで、このように語り伝えたとのことである。>>(全文)

(写真)羅城門基壇付近。写真の右奥に見えるマンションから奥(公園東南)付近に羅城門がそびえ建っていた(推定)。延暦13年(794年)10月、桓武帝が新京に移り、翌月になって都の正式名称を平安京とする。その平安京成立から186年後、都の正面玄関である巨大な楼門は、暴風雨により倒壊、以降建て直されることはなかった。
「都名所図会」安永九年(江戸期1780年)から「羅城門の旧跡」の項。
<<羅城門の旧跡は朱雀通り(いまの千本通りなり)四塚(よつづか)にあり。この門は桓武天皇平安城造営のとき、初めて建てたまひけり。大内裏(だいだいり)の南面にして、外郭の総門なり(楼上に毘沙門天を安置す。これ伝教大師(最澄)の作なり。いま東寺の観音堂にあり)。(略)>>

(写真)羅城門遺址碑の傍らに設けられている京都市の説明版(復元イラスト)から。
イラスト右上方向が北で、広大な道が平安京のメーンストリート朱雀大路。幅は28丈(約84m)であった。
左右が九条大路(幅36m)。このイラストから羅城門の横幅を推定すると60m以上になるようだ。基壇の南外側は溝(濠)で囲まれており、朱色の欄干が見える。これが地名に残る唐橋なのだろうか。発掘調査は行われているが、規模等は依然として未確定。
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