2014年04月22日

京都 朱雀大路 羅城門跡

円融帝の御代の天元3年7月、都は暴風雨に襲われ、諸門諸司の被害は著しく、朱雀大路の平安京正門である羅城門も例外ではなかった。翌天元4年9月には新造なった内裏もわずか1年余で炎上し潰えてしまう。この頃より洛中のいたるところに盗賊が出没し(出典:岩波書店「日本史年表」)、華麗な都も見る影もなく寂れはててしまう。洛南の二重閣の壮大な羅城門も荒れ果て、死者の捨て場と化してしまっている。この不気味な羅城門の姿は、旧記に数々の怪奇譚としてものにされ、今日にまで伝えられている。そのうちのひとつ、「今昔物語集」巻第二十九の第十八を現代仮名使い文で、短文なので全て引用してみる。この原典が芥川龍之介の短編「羅生門」の主な題材になっている。
 「羅城門(らしょうもん)の上の層に登り死人を見た盗人の語(こと)第十八」
< 今は昔、摂津国のあたりから、盗みをするつもりで京へ上ってきた男が、日がまだ暮れないので、羅城門の下に隠れて立っていた。朱雀大路の方へ人々が頻繁に通っていくので、
人通りが静まるまでと思って門の下に立って待っていたが、そのうち、山城の方から大勢の人が近づいて来る音がしたので、彼らに見られまいと思って、門の二階にそっとよじ登った。見ると、燈火が小さくともしてある。
盗人が不審に思って連子窓(れんじまど)からのぞいて見ると、若い女の死体が横たわっている。その枕もとに火をともして、ひどく年老いた白髪頭の老婆が、その死体の枕もとに座り込み、死体の髪の毛を手荒く抜き取っているのだ。
盗人はこれを見ると、どうも合点がいかず、もしや鬼ではあるまいかと恐ろしくなったが、ひょっとしたら死人が生き返ったのかもしれぬ、ひとつ、おどかして試してやろうと思い、そっと戸を開けて、刀を抜き、
「こいつめ、こいつめ」
と言って走り寄った。すると、老婆はあわてふためき、手をすりあわせてうろたえる。
盗人が、「お前は何者だ。婆はなにをしているのだ」
と尋ねると、老婆は、
「私の主人であられました方が亡くなられまして、葬いなど始末をしてくれる人もありませんので、こうして、ここにお置きしているのでございます。その御髪が丈に余るほど長いものですから、それを抜き取って鬘(かづら)にしようと抜いておりました。どうぞお助けくだされ」
と言う。そこでこの盗人は、死人の着ている着物と老婆の着衣とを剥ぎ取り、抜き取ってあった髪の毛まで奪い取って、駆け下りて逃げていった。
ところで、その門の二階には死人の骸骨がごろごろしていた。葬式などの出せない死人を、この門の上に捨てて置いたからである。
このことは、その盗人が人に語ったのを聞き継いて、このように語り伝えたとのことである。 >
   「今昔物語集」岩波文庫(下)P58〜P60から
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京都市南区唐橋羅城門町の花園児童公園内の羅城門遺址(明治28年3月建立)
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石碑が建つ公園は壮大な羅城門の西端部分にあたる 左写真の右奥に見えるマンション付近(公園東側)に羅城門がそびえていた(推定) その礎石は 藤原道長の自邸(=土御門殿・現在の京都御所の仙洞御所付近)の東側一帯に壮麗な法成寺(ほうじょうじ)が1019年に造営される折に運ばれたと「小石記」に記述されている よって荒廃した羅城門は その年代には基壇・礎石だけの状態だったと推定できる 鴨川からみた姿が宇治平等院のモデルになったといわれるその法成寺跡碑は 府立鴨沂(おうき)高校の校舎と運動場の間を通る荒神口通に面して設置されている(その説明板を参考)

「羅生門」を発表した当時の芥川について少々。1915年(大正4年)9月、東京帝大文科大学英吉利文学科3年に進級した芥川は、午前中に組まれた講義にはあまり出席せず、一高時代からの同級生久米正雄の熱心な勧めもあり、「今昔物語集」に取材して「羅生門」を書き始める。英吉利文学科には一高時代からの同級生では他に菊池寛(文芸春秋社創設)がいた。 11月1日に短編「羅生門」を「帝国文学」に<柳川隆之介>の筆名で発表する。発表直後の4日には、同じく「今昔物語集」に取材した「鼻」の執筆を始めている。久米正雄がこの時、熱心に「今昔物語」を勧めていなかったなら・・・・。
王朝物と呼ばれる短編は、大正6年初夏までに6篇が上梓されていて、宇野浩二の「芥川龍之介」に個々の解説が書かれているので紹介したいのだが、死者の捨て場と化すまで荒れ果てた羅城門には鬼まで棲みついてしまったので、羅城門の「鬼」の話に方向転換。
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羅城門遺址の説明板に付けられた地図 現在地表示の位置がこの児童公園

「日本昔ばなし 羅生門の鬼」 (毎日放送TBS系列のアニメ)にも取り上げられているように、源頼光の四天王の1人で最年少の渡辺綱(つな)は、太刀で羅城門の鬼の片腕を斬り落としたのだが、鬼は「取り返してやる」と叫んで消えてしまう。鬼は策略を練り、やさしい老婆に化けてこの「腕」を取り戻す、ここで物語は幕を下ろすのだが、この「腕」がある小説に数行だげだが印象深く現れる。
<彼は片腕をむずとお眉(まゆ)の腰にまき、片腕でその裾をかきひらきながら、氷の上におしたおし、おり重なった。(略) お眉の「天女貝」の忍法を感覚したのだ。心得たり、とその口は笑いかけた。いや、そのからだは完全に離脱したと思った。ーーしかし、ふたつのからだははなれなかった!彼の肉鞘はまさに女の体中にあった。しかし、肉鞘をぬいだ彼の男根を、まるで片腕つかんだ羅生門の鬼のように、もうひとつの何物かがつかんだ。冷たい、柔かい何物かがーーひとめみて、捨兵衛の総身に驚愕の波がわたった。それは小さな、あかい嬰児(みどりご)のこぶしであった。> 山田風太郎の「くノ一忍法帖」から
「羅生門の鬼のように」・・・この1フレーズで、妖異(エロ)小説(山田風太郎大好き!各ジャンルの作品群のファンです)の世界から日本昔ばなしの世界にまで意識は拡がり、頭の中は「エロ昔ばなし」状態に。とりとめがなくなってきたので、以上。
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参考
「今昔物語集 本朝部(下)」岩波文庫
「芥川龍之介 年表作家読本」河出書房新社
「くノ一忍法帖」山田風太郎 角川文庫
「日本昔ばなし 羅生門の鬼」YouTube(10分強) http://www.youtube.com/watch?v=pChh9zh5STM

posted by y.s at 17:20| Comment(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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