府立総合資料館貴重書データベースhttp://www3.library.pref.kyoto.jp/infolib/meta_pub/G0000013RAREBOOKS_190
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<近衛殿ニテ晩迄雲州ノヤヤコ跳、一人ハクニト云、菊ト云、二人、其外座ノ衆男女十人計在之>
雲州(出雲)のややこ跳(踊り)をするクニと菊、その他に座のもの男女十名、史実として確実なのは以上である。その生年、没年も不明。断片的資料を基にした推察や伝承から数多くの俗説が生まれ、虚像「出雲の阿国」が形成されてきたが、庶民大衆の間で「歌舞伎踊り」が支持されたことは間違いないのだ。
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戦国期(文禄・慶長年間)に堺の町衆だった高三隆達(たかさぶ・りゅうたつ)が節を付けて歌い広め、上方を中心として一大流行歌となった隆達節(りゅうたつぶし)という歌謡がある。織田信長が聞いたと窺える逸話(わらんべ草)も残されている。この隆達節が顕著に阿国の歌舞伎踊の歌詞に摂りいれられているのだ。
有吉佐和子の小説「出雲の阿国」(「婦人公論」1967年1月号から1969年12月号まで連載 中央公論社1969年刊)には、この隆達節を中心に様々な室町小唄が散りばめら、阿国の周辺に音曲の調べが流れるような効果を与えている。作品中に隆達節が計11首挿入されている。いくつかを拾い出してみる。
<ひと夜ふた夜となれそめて さても諸白髪 もろしらが>P50 この後、隆達節の説明が丁寧に記されている。
<末もとほらぬ 薄情中 うすなさけなか いまさら物思ひ>P51とお国も口遊ぶ。
<心なしとは それ候よ 冴えた月夜に 黒小袖>P201
伏見城を大地震が襲う描写に<竹の丸橋いざ渡ろう 瀬でも淵でも落ちば諸共に>P390 この歌は下巻P420にも2回採取されている。
晩年の阿国には、伝承すら多くは残っていない。小説の世界では、阿国は赤い大岩に足を砕かれ、舞い踊り続けられなくなってその一生を終えてゆく。
<お国の祥月命日は、一月二十五日、それはお国が十七歳のとき天満天神の鷽替(うそかえ)に出会したのと同じ月日であった。>有吉佐和子「出雲の阿国」から
出雲大社の近辺にクニ(阿国)のものと伝承される墓があり、京都・大徳寺塔頭の戦国大名細川忠興(ガラシャの夫)が建立した高桐院(こうとういん)にも墓が存在する。歴史の霧のなかから「クニ」があらわれたのは、慶長5年7月1日に御所朔平門外の近衛邸で舞い踊ったその時だけである。
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隆達節を聞ける最近の映像作品は、NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」(2011年放送)第10話の柴田勝家が自決する前夜の宴のシーンなのだが、そのDVDが行方不明。録画した記憶はあるのだが。
参考
小説「出雲の阿国」(上・下)有吉佐和子 中公文庫2002年改版
「戦国時代の流行歌 高三隆達の世界」中公新書2012年刊
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