池波(当時45歳)は、同年(1968年)12月下旬に取材旅行で京都・奈良を訪れ、その期間(6日間)も簡易な日記を書き続けている。写真を付け加えて抜粋する(写真が抜けている分は先に謝罪)。
十二月十九日(木曜)
年末旅行、京へ発す。トヨ子見送り。
東京、くもり寒し。関西へ近づくにつれて晴れてくる。京都は暖夜。
ツボサカでステーキ。
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*日記の<トヨ子見送り>のトヨ子=池波豊子さん。池波正太郎夫人。
十二月二十日(金曜)
京在。
松ずし。
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十二月二十一日(土曜) 晴
昼、奈良ホテル入ル。
大和路の取材。ホテルハイヤーの運転手、大いに役立つ。千円チップをやる。
[夕] ホテルのすきやき
赤ワインをのみすぎ、悪酔いす。
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十二月二十二日(日曜)
雨あがり、大和郡山取材。なかなかよし。
京へもどり、[しる幸] にて晩食。
風邪気味となる。
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十二月二十三日(月曜) 晴
ノドいたむ、タン出る、風邪ひどくなる。さむし。山々よく見える。
ひるすぎ松ずし。
PM四時彦根着。
[小島]へ行き、夜の汽車までをすごす。
会計一万円弱、安いのにおどろく。
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池波は、夜行列車で帰京し、翌日の日記に<<十二月二十四日(火曜) 晴 風邪いくらかよし。>>と書いて、取材旅行の記述を閉じている。
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池波正太郎リンク
大阪 宗右衛門町界隈 池波正太郎「大阪ところどころ」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/394678865.html
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