2014年12月09日

京都 池波正太郎「食べ物日記・昭和43年版」(十二月の年末旅行から)

作家・池波正太郎の「食べ物日記」(昭和43年版)から。
池波(当時45歳)は、同年(1968年)12月下旬に取材旅行で京都・奈良を訪れ、その期間(6日間)も簡易な日記を書き続けている。写真を付け加えて抜粋する(写真が抜けている分は先に謝罪)。

十二月十九日(木曜)
年末旅行、京へ発す。トヨ子見送り。
東京、くもり寒し。関西へ近づくにつれて晴れてくる。京都は暖夜。
ツボサカでステーキ。
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(左写真)「つぼさか」跡(左側奥のビル・推定地)。テナント案内板が縦に並ぶビルの場所にあった(現在「つぼさかビル」)。 (右写真)地図。四条通から花見小路通を北に、最初の路地を東に入った北側にあった。一帯は現在も京都を代表する夜の繁華街。
*日記の<トヨ子見送り>のトヨ子=池波豊子さん。池波正太郎夫人。

十二月二十日(金曜)
京在。
松ずし。
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(左写真)かっての「松鮨」跡(主人は先代の吉川松次郎)。赤い自販機が置いてある位置に「松鮨」の暖簾が掛っていた(間口はかなり狭い)。 (右写真)奥に見える橋が三条小橋。写真右岸の高瀬川に面して「松鮨」があった。「池波正太郎 新潮日本文学アルバム」(1993年刊)のP82に、「松鮨」店内カウンターで、主人と談笑する池波の写真が載せられている。また、「散歩のとき何か食べたくなって」(新潮文庫)の巻頭に、「松鮨」の寿司と酒肴が写真紹介されている。同文庫の「三条木屋町・松鮨」から<<三条木屋町下ルところにある[松鮨]へ、はじめて入ったのは、もう十五年も前のことになるだろうか・・・・・。 高瀬川に架かった三条小橋を東へわたると、川沿いの道の斜め向うに、瑞泉寺という寺がある。>> 参考:京都詳細住宅地図(吉田地図)1974年版に「松鮨」記載有り。 
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(左写真)地図。「松鮨」の位置。現在、角地の店はひとつに併さって大きな建物になっている。 (右写真)移転した「松鮨」の場所は、蛸薬師通柳馬場の角を西南側に入って2軒目。2階に店舗。3階は住居となっている。

十二月二十一日(土曜) 晴
昼、奈良ホテル入ル。
大和路の取材。ホテルハイヤーの運転手、大いに役立つ。千円チップをやる。
[夕] ホテルのすきやき
赤ワインをのみすぎ、悪酔いす。
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(左写真)奈良ホテル。日本を代表するホテルのひとつ。 (右写真)奈良ホテルのどのあたりの部屋に宿したかは不明。
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(左写真)JR桜井線のとある駅舎。池波は、桜井市三輪の大神(おおみわ)神社(=三輪明神)を21日に訪れている。「食べ物日記」には、<十二月二十一日、大和・三輪明神にて>とコメントが付いたスーツ姿の写真が載せられている。 (右写真)大和郡山城(22日に訪れているはず)。奈良ホテルを拠点に、奈良盆地の各所を池波は取材して回っており、成果にかなり満足を得た感が日記に伺える。

十二月二十二日(日曜) 
雨あがり、大和郡山取材。なかなかよし。
京へもどり、[しる幸] にて晩食。
風邪気味となる。
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(左右写真)西木屋町真町の細路地にある「志る幸」。新選組が、古高俊太郎(桝屋喜左衛門)を捕縛した宅跡(地図のグリーン色部分)の広い敷地の一部に「志る幸」は位置している。古高は、壬生の新選組屯所(前田家)に連行され、拷問により(長州藩士らの集会を)白状する。結果、池田屋事件の端緒の地となったことから、幕末史に名を残すことになった。その石碑が「志る幸」の横に建っている。池波正太郎が何を思いながら食事してたかは、凡人には想像外。

十二月二十三日(月曜) 晴
ノドいたむ、タン出る、風邪ひどくなる。さむし。山々よく見える。
ひるすぎ松ずし。
PM四時彦根着。
[小島]へ行き、夜の汽車までをすごす。
会計一万円弱、安いのにおどろく。
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(左写真)翌朝、京都市内は冷え込んだのだろう。<山々よく見える>と日記にあるのは、東山で間違いないだろう。昼過ぎに昼食を再び「松鮨」で摂っている(既出)。  (右写真)「志る幸」付近の地図。
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(左右写真)<PM四時彦根着。[小島]へ行き、夜の汽車までをすごす。>と日記に書かれた料亭「小島」は、彦根城下の旧・遊郭街(袋町)に残っている(左写真の橋詰に小さく見える赤い建物)。かっては紅殻(べんがら)格子が連なっていた色街は過去のものとなったが、夕陽に染まる芹川は変わらずに美しい。「小島」は、池波が贔屓にしていた同じ袋町の老舗料亭「金亀(こんき)」の元女将が始めた料亭(「食べ物日記」の注釈より)。金亀楼は、幕末期に井伊大老の下で働いた「村上たか」所縁の妓楼としても名を残している。 
池波は、夜行列車で帰京し、翌日の日記に<<十二月二十四日(火曜) 晴 風邪いくらかよし。>>と書いて、取材旅行の記述を閉じている。
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(左写真)彦根城下の袋町にあった遊郭跡の地図。面影は川面に残るのみ。 (右写真)池波正太郎著「食べ物日記 鬼平誕生のころ」2009年刊(文藝春秋)。

池波正太郎リンク
大阪 宗右衛門町界隈 池波正太郎「大阪ところどころ」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/394678865.html
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posted by y.s at 23:59| Comment(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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