2015年05月20日

interval(写真日記5月20日 「陸軍秘密謀略戦用施設・登戸研究所跡」を準備中)

戦前、現・川崎市多摩区のある丘陵に旧陸軍の秘密謀略戦用研究開発施設「登戸研究所」(秘匿名)が設置されていた。城塞のように四方を土塁で囲み、厳重な警備体制を敷いたその施設は、敗戦後も内部資料を廃棄・隠匿し、一部の関係者・研究者以外には知られることなく年月が経過している。戦前の残存施設はほとんど手を加えられることなく朽ち果て、消滅している。「登戸研究所」(4セクション)が研究開発した兵器は(「原爆」を除く)多種多様で、そのアイデアの奇抜さに驚くものから残忍な生物化学兵器まで、戦争遂行を影で支え続けていた。有名な開発兵器は「風船爆弾・細菌撒布」を筆頭に、「怪力電波」(=殺人光線)、「人工雷」、「生物化学兵器」、「諜者カメラ」、「毒物合成」、「秘密通信」、「対動物諜略兵器」、「対植物諜略兵器」、「秘密インキ」(水や火で文字が浮き出る)、「紙幣印刷」(経済戦用偽札)などなど。
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写真は2009年に老朽化を理由に解体された26号棟。戦時中、贋札倉庫(第3課担当)として使用され、陸軍中野学校からの要員(8名)が上海経由で大陸へ贋札を運搬し、対国民政府経済攪乱戦にあたっていた。
現在、登戸研究所跡はそっくり明治大学生田キャンパスとして利用されている。登戸研究所正門がそのまま大学正門として使われている。
*「陸軍秘密謀略戦用施設・登戸研究所跡」として4〜5パートに分けてアップする予定。資料が限定されているため、周辺に住む80歳以上とみられる方々に話を聞くも、手ごたえある返答はない。
posted by t.z at 23:28| Comment(3) | 写真日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
上大崎にあった「国立予防衛星研究所」の写真もありますか(ワクワク)。稲川淳二さんの「目黒のスタジオ」に出て来ます。深夜の怪奇現象の原因は、高い塀に囲まれた隣の建物が原因では?と、実験を試んだという話。
Posted by 定マニア at 2015年05月23日 05:19
稲川淳二の「目黒のスタジオ」の話は知りませんが、白金トンネルにまつわる怪奇話はよく耳にします。それとは無関係なのかな? 国立予防衛生研究所はかなり前に廃止になり、跡地に日映新社という映画会社の建物が建ち並んでいました(取り壊してMSに)。な、な、なんと学生時代にここでバイト(映画撮影の下働き)をしており、長期地方ロケに耐えられなくなって行かなくなった思い出があります(帰京すると同い年の彼女が他の男とできていた)。19歳のころで記憶が薄れているが、トンネル手前にあった正門を入って右方向に建物群が並ぶ間の道を行くと右に事務所やスタッフルームがあり、向かいの1階に試写室や撮影部控え室があったはず。写真が残っているとしてもフィルム時代で、ネガを探せば出てくるかも。怪奇現象といえば、帰ってきたら女が消えていたことが自分にとって超怪奇現象で、いまだに忘れられない。ここは(トンネルが)自動車専用道で人通りがないためにいろいろと話が生まれやすい場所。デジタルでも広尾側・白金側と撮っているが未整理分に入りこんでいるようでみつからない。HDD保存・移動を繰り返すたびに行方不明になってしまう。以前、白金トンネルやトンネル出口のパン屋でアップした元画像も行方不明中。トンネル内部を車で通り抜けて怪奇現象を撮った!!ビデオ映像もどこかへ行ってしまった。助けてぇ。
Posted by 管理人 at 2015年05月25日 01:26
追記です。昨日、偶然にもYouTubeで、帝銀事件を取り上げた昔のテレビ番組を観ました。そうしたら「登戸」が出てきてびっくり。私は、登戸ではなく、戸山の方だと思っていました。なんでかって、石井四郎は、戦後、新宿区若松町で旅館を経営していたそうだから、戸山の近くに住んで、ずっと様子をうかがっていたのかと思ったんです。事件後に「自分の部下が犯人だと思う」と言ったそうだし。国立予防衛星研究所について。稲川淳二さんは、高速道路から一部だけ建物が覗ける場所があることを知っていたので、今だ!とシャッターを切ったそうな。現像したら、窓に人の顔や手形がビッシリ。はい、怪奇現象と関係ありでしたね。
Posted by 定マニア at 2015年05月27日 10:11
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