先代(元芸妓のおはる)は、八坂の塔の北傍らで料理旅館を営み、歌人吉井勇、作家里見クの作品のモデルとなり、白樺派の作家らや近衛文麿にも可愛がられていた。生粋の祀園育ちのおはるさんが亡くなった後、清水五条坂に旅館を移し、二代目として跡を継いだのが、おはるさんの姪にあたる佐々木達子であった。
(写真)料理旅館「佐々木」(二代目)の跡地に建つマンション(北側から)。、
白洲正子随筆集「夕顔」収録の「京の宿 佐々木達子さん」より。
<<(略) 「おかみさんが亡(の)うならはりましたえ」
私たちの間で、「おかみさん」といえば一人しかいない。それは私たちが定宿(じょうやど)にしていた京都の宿の主(あるじ)で、主というにはあまりにもそこはかとない女性であった。名前を佐々木達子といい、清水の静かな一角に住んでいた。その宿屋をはじめたのは彼女の叔母で、祇園の一流の芸妓(げいぎ)であったが、近衛文麿、吉田茂、松永安左ヱ門、志賀直哉をはじめとする白樺派の人々、中でも里見クは長年のひいきであった。戦後は小林秀雄、河上徹太郎、吉田健一など、特に小林さんは、「この宿屋は国宝だよ」といって愛していた。
何も建築が立派だから国宝というのではない、おかみさんの立ち居振る舞いといい、心の遣いかたといい(ぬけ目のない気配りやサービスの意味ではない)、一点非の打ちどころのない人物だったからである。
その初代のおかみさんが、今から二十五年ほど前に亡くなった。姪(めい)の達子さんは、それまで台所で下働きをしており、私たちの前には殆ど顔を出さなかった。小柄な女性で、いくつになっても赤い帯をしめていたので、口の悪い人たちは「子守っ子」と呼んでいた。その頼りない子守っ子が、「佐々木」の後を継ぐというので私たちは唖然とした。とてもやっては行かれまい、佐々木は一代で終わりかとあきらめていたら、驚くなかれおばさん以上に国宝的な存在となって今に至ったのである。>>
(写真)西側より「佐々木」跡。左端の建物は、元プリンスホテル跡のMS。
<<名妓であったおばさんには、多分にお嬢ちゃん的なわがままなところがあり、それが魅力でもあったが、長年下積みで苦労をした達子さんは我慢強かった。私たち一家はどんなに彼女のお世話になったかわからない。祖父、ーつまりおばさんの父親が気難しい板前であったので、彼女は小さい時から料理が上手で、したがって味にはうるさかった。京都の料理屋は隅から隅まで知りつくし、料理ばかりでなく、それは日常の生活万端に及んでおり、これはと思う老舗では、「佐々木」といえばどこでも一目置かれていた。すべてそうしたことは先代のおばさんから受けつがれた訓練によるが、彼女はよくそれに応え、たださえうるさい客たちに至れりつくせりの接待をした。そういうものこそ私は、千年の歴史を誇る京都の「伝統」と呼びたいのだ。
戦前からの二代にわたるおかみさんとの付き合いが、突然切れたのだから私の落胆を想像して頂きたい。もっともこの二、三年は仕事が辛そうで、私は遠慮してなるべくホテルに泊まるようにしていたが、京都へ行く度に見舞いを欠かしたことはない。いつ行ってみても掃除は行き届いており、床の間には花が活けてあった。青々とした苔の庭も、そこに植えてあるどうだん(*灯台の転語で釣鐘形の花が咲く)も、萩も、つつじも、彼女の丹精のほどを示していた。客はいなくても、誇り高い彼女は、あたかもそこに客がいるかのように暮らしていたのである。
レトロやグルメで鵜(う)の目鷹の目の女性雑誌も、「佐々木」 のようなかくれた存在には目が届かなかった。が、それも今や昔語りとなった。清水の宿で、たのしい日々をすごした人々も、おおかた死んでしまった。おかみさんはそれが寂しくて、生きていられなかったに違いない。さようなら、達子さん。(略)>>
「随筆集 夕顔」1993年新潮社刊。「新潮45」1988年6月号初出。
(見取り図)1974年発行の吉田地図を参照。
「京の宿 佐々木達子さん」は、随筆集「余韻を聞く」2006年世界文化社刊にも収録されている。
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