2015年10月29日

京都東山 方広寺大仏殿を囲む巨大石垣 小瀬甫庵「太閤記」より

秀吉の発案で山城東山に建立が決まった方広寺大仏殿は、奉行五人(石田三成・前田玄以・浅野長政・長束正家・増田長盛)に作事が仰せ付けられ、天正14年(1586年)4月に着工、当初は東福寺近縁に計画するも変更され、現在地(東山区正面通大和大路東入茶屋町)に天正16年5月に至り完成。方広寺造営完了は翌天正17年になる。この「太閤記」大仏殿之事のエピソードは、そっくり海音寺潮五郎「茶道太閤記」(文春文庫1990年刊)のP284に取り入れられている。
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(写真)方広寺大仏殿跡を取囲む巨大な白川石(花崗岩)の石垣。

小瀬甫庵(おぜぼあん)「太閤記」巻七「大仏殿之事」章の「四方石垣之事」より部分抜萃。
<<始は小なる石にてつかせ給へ共、仏法衰へに及ては石をも小なるは盗み取に便も安かるベしとて、事外(ことのほか)大なる石を以(もって)重(かさね)て築直し給へり。蒲生(がもう)飛騨守(*蒲生氏郷)引し石は二間に四間有しかば、多勢を以引侍りけり。石をどんす(*繻子地の絹織物)などにてつゝみ、木やりのおんどう取(*音頭取)、異形の出立(いでたち)に物し引ければ、見物の貴賤おしもわけられぬ計(ばかり)也。>>
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<<白川のおくより(*左京区北白川奥地の白川石=花崗岩)大仏に至る事及七日。興山(こうざん)上人(*応其おうご・高野山僧)手伝人毎日五千人宛(づつ)請取、作事(さくじ)等につかひしが、日かず漸(ようやく)二千日に及にけり。此分さヘに千万人か。殊(とくに)棟木(むなぎ)は木曾山、飛騨山、四国九国に軒なかりしかば、富士山をみせしめ給ふに可然大木あり。即大工の棟梁をつかはされ見せ給へば、棟木になるべき旨注進申上しかば、即家康卿へ被仰付切らせつゝ、熊野浦へ廻し大坂に着船あり。(略)>>
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posted by y.s at 16:57| Comment(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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