再開発の波に飲み込まれそうで飲み込まれず、しぶとく山手線渋谷駅のすぐ脇のエリアで営業を続ける戦後闇市の残滓、誰が呼んだか「のんべい横丁」。戦後まもなく飲食関係の店の営業が統制(飲食営業緊急措置令)され、ほどなく廃止(1949年)されると同時に各地(池袋・新宿・渋谷など)に生れた飲食街のひとつで、新宿西口のしょんべん横丁(東口のハモニカ横丁は区画整理で消滅)と並び今日まで存続している。
<<山手線のガード下、宮下公園入口へのびているのが「のんべい横丁」だ。
三十代半ば、はじめてこの横丁に連れられて来た時、何でこんなところで酒を飲まなければいけないのかとおもったが、しつかりと酒道に入った今、案外こういうところが好きになっている。
雨の日や雪の日の「やつれ酒」には、こんな場所がいい。>>
<<「のんべい横丁」では「野川」という飲み屋に何度か入っている。一番記憶にあるのは田中美佐子(仮名)と行った時のことだ。彼女とはぼくが某大学で講演した時に知り合った。ぼくは四十代に入ったばかりで、田中美佐子は二十三歳の大学生だった。その時飲む約束をしたのが何とも貧乏臭いことにこの「のんべい横丁」の「野川」だった。ここでしか飲めないという凍結した日本酒を教本飲み、ヘベれけになった。
「そろそろ帰りますか」
ぽくは言った。彼女は東急東横線の日吉に家族と暮していた。終電が近かった。
「これからどうしますか?」
彼女がぼくをじっと見て言った。どうするかって、何考えてんだよ、とおもつたが、意外にもぼくは機に際して敏である。今でも円山町のホテルの一室の造花のバラのオペラピンク色は鮮やかに頭の奥に焼きついている。(略)>>
安西水丸氏は逝ってしまった(2014年3月19日71歳で逝去)が、のんべい横丁「野川」は今も健在である。営業は夕方から始まる。年齢の離れた、付き合いの浅い女と一緒だったなら、20時くらいには店に入り、23時過ぎには、酔いでとろんとした瞳で見つめあって、視線をねっとり絡み合わせてから円山町のラブホ街へ移動するのが水丸流だろうか。ヒントが「造花のバラ」だけではラブホの特定は困難、捜すなということだ。
なお「野川」の定休日は、土曜・日曜。
エッセイ「東京美女散歩」安西水丸2015年3月講談社刊より抜粋。
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