川端康成の長編小説「たまゆら」に、葵祭の祭列と上賀茂神社前で明治初頭から営業している焼餅で有名な神馬堂が、初夏の鴨川の風情とともに描かれている。
<<さち子が名物の焼餅を買って、川原にもどって来た。先づハンカチで額をおさへた。
「ごめんなさい。今日はお客が多くて待たされて・・・・・・。」
「さうだろうね。」と、直木は言った。
(鴨川。左の樹木の繁る堤で、親子である直木とさち子は葵祭の行列を待っている。奥の橋(御園橋)を渡り、さち子は焼餅を求めに神馬堂に向った。右手に上賀茂神社と神馬堂。)
「神馬堂を買って来ました。二軒か三軒ありますけれど、神馬堂にいちばん人がたかつてゐましたし、うちもそこでいつも買ひますから。」
「さうかありがとう。」
「この小さい包みは、ここでいただいて、大きい方の包みは、お母さまたちのおみやげにね。葵祭の日のものですから・・・・・・。」
「うん。」
さち子が小さい包みをひらくのを見て、「へええ、小さくなつたものだね。上賀茂の焼餅も、こんなに小さくなつてしまつたの?世の移りなのかね。」と直木はながめた。
さち子は焼餅の大きかった、むかしをむろん知らないから、きょとんとしている。
(略)
「とにかく、お父さま、一つめしあがつてみて。」
「さうね。」と直木はさち子の言葉にしたがって、焼餅を半分に割つて口に入れた。
「うん、まづくはないよ。だけど、むかしよりは、よほど淡白で、平凡な味だね。田舎者は少なくとも、堪能はしないね。もっとも、人間には、むかし食べたものには、おいしかつたやうに思ふ癖があるものだが・・・・・。」
「ちよつと待って下さい。」と、さち子は薄つぺらな葵祭の参考書をひらいて、名物の焼餅のくだりをさがした。
(略)
「焼餅を葵餅と言ったようです。上賀茂神社の名産ですから・・・・・・。お父さまのおつしやるのは、その時分の焼餅ぢやありまんの?」
「さうかもしれないね。」
(略)
「それに、こんなふうに書いてありますわ。むかし、もう一軒あった焼餅屋さんが、左前になつて人手に渡ってしまつたのを、そこに奉公してゐた、今の神馬堂の主人が惜しんで、お宮の馬屋の隣りに、店開きしたらしいんです。それで神馬堂。」>>
(神馬堂の店内)
(水引のれんには神馬の図案)
「たまゆら」は、「小説新潮」誌に7回連載(昭和40年9月号〜昭和41年3月号)された長編小説。
引用は「川端康成全集第17巻」新潮社から。
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