<< 〇雨勢やや加わる。乞食大将(*10月初旬に起筆。執筆中の小説タイトル。後に朝日新聞に連載。)一回半書きし時 岸君来たり東京の模様を知らしてくれる。
清水のアルミニウム工場(日本全産額の三分の二)が大分やられた。東京は青山赤坂方面と深川大島附近、青山学院女学部に焼夷弾、原宿駅、海軍館、赤坂区役所などがやられた。
外苑入口の高射砲陣地を狙いしものか。
〇前の空襲で吉祥寺中島工場は死傷五百名出す、池上線の桐ケ谷駅が破壊され今二十七日なお不通。 >>
(池上線桐ケ谷駅跡。島式ホームの名残りが右側擁壁の窪みとして現在も残る。ホームが取払われた後、線路は直線に敷設し直された。)
鎌倉在住の大佛次郎の元には、報道統制をかいくぐるように、友人知人らの見聞による戦況・被害の情報が随時もたらされている。昭和20年5月の桐ケ谷駅空襲が多く語られているが、その前年から鉄道を標的とした米軍の攻撃は繰り返されている。当時、五反田駅近くに下宿し、芝浦の沖電気に通勤していた作家山田風太郎の日記(「戦中派虫けら日記・昭和17〜19年)には、五反田近辺の空襲被害については何も書かれていない。山田は、昭和19年11月当時、東京医専(東京医科大)に合格し通学を始めたばかりで、校舎(西新宿)近辺の空襲については書き残している。
(2008年度に実施された擁壁改修工事「沿線の皆さまへ」の看板から。丁度駅跡に楕円のマークがついている。発着駅池上線五反田からの下り駅順は、五反田→大崎広小路→桐ケ谷→戸越銀座)
「大佛次郎 敗戦日記」1995年草思社刊は、後に「終戦日記」と改題され文庫化されている。
鎌倉在住の大佛次郎が書き残した日誌風原稿には、題らしきものは附与されておらず、タイトルは何でもいいようだ。
参考
「東京急行電鉄50年史」 東京急行電鉄社史編纂事務局編1973年刊
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