<< 生れてはじめて見た横浜南京街というのは全て不思議な町である。
その町に夕闇が忍びより、その濃い影の中に封じこめようとする夕暮れ刻(どき)、その小径に入って行った私は、不思議な国に迷いこんだような気がした。小料理店は、赤茶色に焙った丸焼きの鶏や、これも焙った、太い紐のような豚の腸などを飾窗(かざりまど)にぶら下げ、香ばしい油の匂いと煙とを、電燈の洩れる硝子戸の中に閉じ込めている。

紅、象牙色、青なぞの繻子地に金糸、銀糸、南京玉で刺繍のある中国服を飾った窗(まど)がある濃い橙(オレンジ)色の光の中に、なにかの秘密をひそめているようなキャバレ、酒場、CLUB、高級料理店がある。これらの勧業の家の濃い、澱んだ光は、東京には勿論、巴里(パリ)にもみられない、深い、勧業の色だ。


電燈の点った小料理店も、紅、青、黄、紫の、五色の色彩をふり撒いている。土産物店も、二階をみると空屋のようで、枠には鍵のとれた跡の釘穴がそのままの硝子戸が半分開いて、薄汚れた白タオルや、色の褪めつくした襯衣(シャツ)なんかが下っている。たまに二階も燈の点った店があっても、店の裏や、階段の下、調理場の上のコック部屋なんかは、陰惨として暗いのだろうという気がする。

要するに、これらの家々はどれもこれも、どこか化けものじみているのだ。料理店も、歓楽の家も、声も、音もなく、黙りこんで、料理店に入っている日本人までがどういうわけか無言である。華やかな色彩が一杯なのに、この街は暗い。

だが、その暗い色は決して衰微の兆ではない。怠け者で、掃除嫌いで、どこか茫洋として大陸的な、それでいて徹底的な勘定高さ、吝嗇(りんしょく)を通りこした合理性を持っていて精力的な、支那(しな)の大衆の一部が、この南京街の暗い硝子戸の中に強靭に生きているのを、私は感じないではいられなかった。(略) >>
森茉莉「私の美の世界」昭和59年新潮文庫より