2016年10月16日

京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」より

<< 嵯峨野といへば草深い山奥の、人里離れた邊陬(へんすう=辺境・片田舎)だから、女の足弱ではめつたに見物する事が出來ない。一生に一度の遠足だと思つて、少々くたびれても、べそを掻きながら附いて來いと、大分嚇し文句を並べて居る。壬生(みぶ)寺の傍の停車場から、嵐山行の電車に乗つて、暫く行くと、やがて郊外の畑地へ出る。廣い野原にげんげ(=蓮華草)と菜の花が咲き亂れ、遠く比叡愛宕の山々が暮靄(ぼあい=夕暮れのもや)に霞んで、三條口の街道を牛車が練つて行く。太秦の廣隆寺の前を過ぎ、車折(くるまざき)明神の鳥居を遥拝して、渡月橋の袂の終鮎へ着く。若葉の嵯峨の風趣は、先づ此の邊りから窺はれる。 (略) >>
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(嵐電・車折神社駅ホームからの車折神社北鳥居。谷崎潤一郎は車内より車折神社の鳥居を遥拝したのだろう)
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(境内より車折神社駅ホームを見る。正面の石段を数段上るとホーム。)

江戸時代は車折明神附近一帯を下嵯峨材木町といった。門前の下嵯峨街道には材木屋が軒を連ね、材木を立並べた光景が「都名所図会」の一葉に残されている。
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(下嵯峨車折明神の門前(部分)「都名所図会」安永9年より)

谷崎潤一郎「朱雀日記」明治45年4月大阪毎日新聞連載初出
「谷崎潤一郎全集第1巻」中央公論社1981年刊より*文字説明と一部ルビは原文に無し
参考 「京都史跡事典」1994年刊
posted by y.s at 05:56| Comment(0) | 京都 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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