釜ヶ崎三角公園で、お安は、ついに「お父ちゃん」を闇の中に幻視する。
マッチの炎の熱が「お父ちゃん」の体温と同化し、「お父ちゃん」の匂い、ぬくもりに包まれながら、お安は至福のうちに24歳の生涯を終えてゆく。
故・野坂昭如氏の作品群のうちで、読み返したくなる一篇。
<<お安がはじめて男を知ったのは、中学二年の七月。父に早く死なれ、母親は当時六歳のお安を連れて、森の宮のたたき大工の後妻となり、あたらしい父は、ひどい酒乱で、大工といっても犬小屋、風呂場の棚をトンカチトンとつくるだけの手間稼ぎ、そのすべてを飲んでしまい、暮し向きは母の手内職で、おっつかっこに支える。・・・・・
内職の品をとどけに出かけた母の留守に、お安が父にいいつかったソックイ煉っていると、「ごめん」と昨日と同じやさしい声で入りこみ、だしぬけに後ろから抱きすくめた。「お母ちゃんも知ってんねんで、こわいことあれへん」男はぶつぶつとつぶやき、さすがにその声ふるえていて、しばしそのままでいたが、やがて立ち上ると玄関をガタピシと閉め、とたんに西陽のうん気がむっと立ちこめる中で、お安は別にあばれも、泣きもしなかった。男の髭(ひげ)が頬をこすり上げ、煙草のやにの臭いが鼻をうち、なにより眉をしかめ、息をあらげたその気魄(きはく)に、全身の力が抜け、やがて下腹部に、灼けるような熱さを感じ、その時、お安は、自分でも思いがけぬ言葉を口にした。「あんた、ほんまのお父ちゃんなんちゃう?」 「なんやて?」 「お父ちゃんみたいな気ィするわ」 >>
<<お安は梅田裏の雑踏をさまよい歩き、中年男の姿とみると、わかるはずもない父親がそこにあらわれたような気がして、後をついて歩き、はじめて、一人二人に、「遊んでいかへん」と声をかけてもみたが、誰も相手にせず、ぼんやり突っ立ってると、五十がらみの女三人、「ちょっと顔貸してんか、誰に断わって客とりよんねん」と、梅田OS横のくらがりにひきこまれ、パシッと顔面を張られよろめくところを突きとばされ、気がつくと溝に半身おちこんでいて、「まぁ、後はまかしとき」と、黒ダボシャツの男にたすけ起こされる。・・・・・
着いた先が西成の釜ヶ崎。男二人、阿倍野商店街をわがもの顔に歩き、ちいさな旅館に入って、「その面やったらいくらアンコ(*日雇労務者)でも客とれへんで、化粧せな、な、ここの部屋貸したるよって商売し。こわいことない、カマは暮し易いとこやで」 ・・・・・
それでもお父ちゃんに会うためやと、まっ白にぬたくって、釜ヶ崎に入ると、たちまち三角公園のくらがりに連れこまれて、立木をしとねに金二百円也。ジキパン(*コジキ同然のパンパン=売春婦の略?)にみられたのだが、それにしてはましな部類とみえ、以後、公園のお安と呼ばれて、三月四月はならして一夜千円の収入となり、いっそここまで身をおとすと、化粧もなりふりもかまったものではなく、はじめうるさくつきまとっていた南の極道も、ジキパンとなっては話にならず、自由に泳がせたから、ようやくお安は気楽な日々を送って、それでも金のないアンコにせがまれると、尺八もしてやったし、カキ(*手コキ)もしたし、そして便所やベンチ、藁(わら)の上で眼っかちびっこ肺病やみも委細かまわず、組敷かれるたびに、「おとうちゃん」とちいさくさけんで、身をすくめ、男の胸にすがりつき、甘えかかる。>>

釜ヶ崎(アイリン地区と改称)の通称・三角公園。正式には萩之茶屋南公園(位置は下図参照)。
支援組織の越冬炊き出しや夏祭りの会場として使用されている。アンコ風体の男が公園周辺に多数たむろしており、視線を浴びる。カメラを構えての撮影は困難(スマホで撮影)。公園内に大きい立木が現在も数本見受けられる。野坂氏がイメージしたお安が寄りかかっていた立木はこれかもしれない。
<<ドヤ街を抜けて、三角公園の、まばらに生える木立ちの根方に、お安はしょんぼりと立ち、その姿、まるで何年も住みついたお化けのように、形がきまった。ふところからマッチ箱をとり出し、その一本を抜いて箱にそえ左手に持ち、右手の指に唾をつけると、股間に当てて、二度三度押しなで、後は、夜の暗さと、寒さしのぎにひっかけた焼酎に、眼をごま化されて、お安に近づく客を待つばかり。・・・・・
お安は後ろの木に体をもたせかけ、腰を突き出し、両脚をふんばり、寝巻きの裾を左右に割る。「もっと近うこな、風あるよって火ィ消えるよ」>>

<<新聞紙をせめて重ね着してベンチに横たわる浮浪者は、下手すれば今日限りの生命、ただ木枯しの鳴る三角公園の立木の根方に、お安はつかれ果ててしゃがみこんだが、左手には一本だけマッチを出した、その箱を持ち、もう冷たさも感じないようだった。・・・・・・
お安は、ふと迎え火のようにマッチをすり、それはたちまち風に吹き消され、今度は裾をひろげて、身をかがめ同じくし、そのかすかなぬくもりを下腹部に感じると、思いついて、残る三本のマッチを一度につけて、大事そうに股の間にさし入れ、焔になめられて灼かれた肌の痛みを、むしろうっとりとたのしみ、「お父ちゃん、来てくれたんか、うちぬくなったよ」という間もなく、寝巻きにうつった火が、風にあおられてぼっと燃え上り、お安の体はそのまま一本のマッチの軸のように炎に包まれ、声もなく横倒しとなり、しばらくはプスプスとくすぶって、風吹くたびにこまかい火の粉をまきちらしていたが、それも消えて闇。>>

「マッチ売りの少女」野坂昭如 「オール読物」1966年12月初出
「野坂昭如コレクション1」国書刊行会2000年刊より抜粋
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