<<母は私が十九の時に亡くなったが、遺言により、分骨して、嵯峨の清涼寺(釈迦堂)の裏山に埋めた。
今もささやかな供養塔が、本堂の北側の茂みの中に建っており、そこからは嵯峨天皇の御陵の山や、大覚寺の杜(もり)が見渡される。先日、取材に行った時も、私はお参りに立ちより、母に手をひかれて、この辺を歩いたことを思い出していた。
(略)
大沢池は、嵯峨天皇の山荘跡で、大覚寺は天皇の死後に建立された。したがって、純粋に大覚寺の庭とみるわけには行かない。あくまでも大沢池は、嵯峨山院の旧跡地で、今も寺とはつかず離れずの位置にある。>>


<<いくつぐらいの時だったろうか、大沢池に舟を浮かべて、お月見をしたこともある。
最近は中秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行なうと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。
その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、
双(ならび)ヶ丘の方角から、大きな月がゆらめきながら現れた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。
やがて中天高く昇るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜烏の叫ぶ声が聞こえたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。
その後、大人になってから、私は度々お月見に行ったが、二度とあのような気分は味わえない。
月にも花にも紅葉(もみじ)にも、一生に一度という瞬間があることを、私はこの頃になって身にしみている。>>


白洲正子随筆集「余韻を聞く」世界文化社2006年刊に収録
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