(写真)長崎地方(平戸・西海・長崎・島原・天草など)を数度にわたり訪れた折に、フィルムカメラを携えて各所の教会や切支丹遺跡を巡り、「沈黙」に描写されているような急斜面の山畠や藪の中に、忘れ去られ朽ち果てたような十字架が刻まれた墓石を撮影してまわった。1984〜1985年頃の撮影なのだが、ネガ(200コマほど)をいい加減に放置しておいたため、劣化が激しく、ポジ写真でアルバムに貼り残しておいた内から数枚を今回取り込んでみた。剥がし痕が残っているものもある。細かい撮影データどころか何処で撮ったかえさへ記憶が失われいる。なにしろ山中で道もないようなところばかりだった。
「沈黙」1966年3月初出。「遠藤周作文学全集」第2巻1999年新潮社刊収録より抜粋。
<<最初の丘の頂まで露にぬれた泥で足をよどしながら、段々畠を登りつづける。地味のうすい土を丁寧に耕し、古い石垣で区わけした山畠は信徒たちの貧しさをはっきり感じさせます。
海沿いの狭隘(きょうあい)な土地では彼等は生きることも年貢を収めることもできない。貧弱な麦と粟に肥の臭いが一面に漂っていました。そしてその臭気にむらがる蝿が顔のまわりをかすめながらうるさく飛んできます。ようやく明けはじめた空に向うの山々が鋭い剣のような姿をみせ、今日も白い濁った雲には烏の群れが嗄(しわが)れた声をあげて舞っています。
丘の頂に来た時、足をとめ、眼下の部落を見おろしました。
褐色の一握りの土塊のように藁屋根と藁屋根との集まった部落。泥と木とでねりあわせた小屋。道にも黒い浜辺にも人影はない。一本の木に靠(もた)れ、私は谷あいにたちこめる乳色の靄(もや)を眺めます。
朝の海だけが綺麗でした。海は幾つかの小さな島をその沖あいに点在させて、うす陽をうけて針のように光り、浜を噛む波が白く泡だっていました。
私はこの海をザビエル師、カブラル師、ヴァリニャーノ師を始めとする多くの宣教師たちが信徒たちにまもられながら往復したのだと思いました。平戸に来たザビエル師はきっとここを通られたことでしょう。>>
(写真)陽光にきらめく海を遠望できる急斜面の段々畠にあった切支丹墓。
<<彼等はどの家にも切支丹の証拠が見つからないのを知っても、この前のように諦めて引き揚げようとはしません。武士は百姓たちを一箇所に集めて、もしすべてを白状しないならば人質をとると通達しました。しかし誰一人として口を割る者はいなかった。
「わしら、年貢も怠ったことはござりません。公役(くやく)もよく務めましてござります」
じいさまは武士に懸命に申しました。
「葬式もみなお寺でいたしとります」
武士はそれには答えず、鞭の先でじいさまを指さしました。瞬間、一同のうしろにいた警吏が素早くじいさまに縄をかけました。
「見るがいい。つべこべと詮議はせぬ。近頃、お前らの中には禁制の切支丹をひそかに奉ずる者があるという訴人があった。誰と誰がさような不屈(ふとどき)をしておるのか、まっすぐに申したる者には銀百枚を与える。しかしお前たちが白状いたさぬ限り、三日後にまた人質をとっていくがどうだ。よく考えておくがよい」>>
<<「バードレ、わしらは踏絵基督(キリスト)ば踏まさるとです」
モキチはうつむいて自分自身に言いきかせるように呟きました。
「足ばかけんやったら、わしらだけじゃなく、村の衆みんなが同じ取調べば受けんならんごとなる。ああ、わしら、どげんしたらよかとだ」
憐憫の情が胸を突きあげ、思わず私はおそらくあなたたちなら決して口にしない返事を言ってしまった。かつて雲仙の迫害でガブリエル師は日本人から踏絵をつきつけられた時、「それを踏むよりはこの足を切った方がましだ」と言われた話が頭をかすめました。
「唾かけぬか。言われた言葉の一つもロに出せぬか」
イチゾウは両手に踏絵をもたされ、警吏にうしろを突つかれ、懸命に唾を吐こうとして、とてもできぬ。
キチジローも頭をたれたまま身動きしない。
「どうした」
役人にきびしく促されるとモキチの眼から遂に白い泪(なみだ)が頬を伝わりました。
イチゾウも苦しそうに首をふりました。
二人はこれで遂に自分たちが切支丹であることを体全部で告白してしまったのです。
キチジローだけが、役人に脅され喘ぐように聖母を冒頭する言葉を吐きました。>>
長崎市歴史民俗資料館で撮った「踏絵」の写真が出てこない。カビで覆われたネガから探しださなければならないか。
遠藤周作リンク
府中 遠藤周作の墓 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より http://zassha.seesaa.net/article/239444707.html?1486614633
静岡 駿府城 遠藤周作「ユリアとよぶ女」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/447386600.html
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