ごちゃごちゃと払下げの理由(わけ)が並べられているが、何故そうなったかは、なぜか避けられている。
井伏鱒二のエッセイに、その経緯(いきさつ)が書かれている。
「週刊朝日」昭和29年10月発行の「日本拝見」欄から。
<<甲府城址に大きな記念碑が建つてゐる。遠く車窓からも見える。一体あの大きな棒のやうなものはなんだ。はじめて甲府に来た旅の者は、たいていさう思ふだらう。もと天主閣があつたと思はれる基礎のあとに、六十尺あまりの途方もなく大きな石造の四角い塔のやうなものが建つてゐる。山を背景にしても雲を背景にしても、あたりの風景と対照しても、相当に目ざはりな存在である。てつぺんが矢の根のやうにとがつてゐる。>>
<<この大きな塔のやうなものは、「謝恩碑」といつて記念碑である。それくらゐのことは、甲府の住人なら宿屋の中気の風呂番でも知つてゐる。ただ当りさはりがあるので話をごまかすだけである。明治四十年前後のこと、甲州では再三にわたつて山崩れを伴ふ大洪水が出て、ことに笛吹川筋と釜無川筋は田畑が砂原になつてしまつた。笛吹川のごときは水流が十町も東に寄つた。そのときに県庁から出た助成金を、先年の大戦争前まで支払へない村もあつた。
原因は理山治水といふことを疎んじてゐたためである。明治の廃藩置県のあと、政府が人民の私有山林に対して、ものすごい税金をかける気配を見せた。これに威かされた甲州の人たちほ、せめて薪を採る裏山ぐらゐだけでも残すことにして、あとはみんな自分の持山ではないと県庁に申し出た。
これが政府の思ふ壷である。所有者のなくなつた三十何万町歩の山林を、みんな政府が没収して御用林にしてしまつたので、一ばい食はされた人民は政府に恨みを持つた。その結果は山林の盗伐と濫伐が始まつた。大水が出たら一とたまりもない。今でも甲州の山に行くと密林のなかに、根元から伐り倒された大木が青ゴケに覆はれてころがつてゐるのを見ることがある。また、大きな栂(つが)の立木が、ヘギを採る試し伐りの鋸(のこぎり)を入れたあとをつけたまま、なかば立枯れになつてゐるのもある。山崩れしたあとの赤土肌も残つてゐる。当時の濫伐盗伐の名残である。これには政府もびつくりしたに違ひない。さつそく天皇の御名のもとに、県内の御料林を県に下賜することで人民の気持をゆるやかにして、あとは時に応じて入札で県内のものに伐らせることにした。その聖恩に感激した県庁の役人が、謝恩碑を建てる発頭人になつたといふことだが、こんなのは明治の悪政の一端を後代に伝へる記念塔だと云つて、街頭で建碑反対の演説をするものもゐた。その者は狂人として牢に入れられた。(略)>>
(写真)甲府城址は、歴史公園として石垣等の遺構保存、城門などの再建が進められている、が、この石塔が、甲府の古(いにしえ)への想念を掻き乱そうとする。写真の下方に、かっての城門の礎石が残っている。鉄鋲が打たれた門をイメージして楽しむにも、あの塔が邪魔をする。どこか本郭外の、せめて電波塔の向こう側にでも移してほしい。
(写真)「謝恩塔」。設計(共同設計)は、明治大正期の建築界の重鎮伊東忠太。代表作は、平安神宮・明治神宮・築地本願寺・湯島聖堂等々。帝国時代の産物だが、伊東忠太のものを壊すには忍びない。解体移動保存できないものかと、しばらく眺めていると、地底から湧きあがってくる「万歳」「万歳」の幻聴に包まれてしまう。まとわりつくものを振り払うように、そそくさと城外に逃れ出た。
*新旧仮名遣い混合有り。
「井伏鱒二全集第17巻」筑摩書房1997年刊より抜粋。
兵庫篠山 篠山城 井伏鱒二「篠山街道」と立原正秋「謎を秘めた篠山城跡」http://zassha.seesaa.net/article/442950773.html
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