2017年03月18日

目白 谷崎潤一郎の仕事部屋 谷崎松子「倚松庵の夢」より

昭和38年(1963年)4月、谷崎は、あれほど気に入っていた熱海伊豆山の山荘(雪後庵と命名、「細雪」の印税で購入したことに由来する)を売却し、湯河原に新たな土地を取得し移住を決める。完成までの間、とりあえず熱海市西山町の故・吉川栄治別荘に身を移すが、同年10月には都心に仕事場を兼ね備えた新たな仮住まいを探し出す。ここで翌年(昭和39年)早々からライフワークとも位置付けられる「源氏物語」(新々訳)にとりかかり、湯河原の邸の完成を待つ。昭和39年7月に湯河原町吉浜蓬ヶ平に新邸が完成し、文京区関口町の目白台アパートでの仮住まいは終る。
目白台アパートの6階に住んでいた瀬戸内寂聴のエッセイによれば、「地下に大きな部屋を二つ借りられ、六階に仕事部屋を一つ持たれている」という。驚きの同階エピソードを読むと微笑ましく、笑ってもしまう。

谷崎潤一郎の愛妻谷崎松子のエッセイ「倚松庵の夢」から。
*倚松庵(いしょうあん)とは谷崎が名付けた関西時代(東灘区)の住居名で、「松」は、松子の一字で、松子に倚(よ)るの意。
<<上田教授は二年目位に再発があるかも知れない、その時には生命の危険があると私に話された。怖れた二年目は無事に過ぎ、三年目の夏から、又も軽微な発作に襲われ、検査を受ける為にもと、心臓研究所の附属病院に入院、一カ月以内で退院を許され、生命を脅かされることもなく過ぎたが、あくる年の一月、目白台アパートに仮住居していた頃、発作頻々、再び心研へ入院、此の時は二時間にわたる大発作があり、心電図もSTが逆転と云う変化が起り、先生方も首をかしげられた。薄氷を踏む思いの目がつゞきはじめた。三月に入って東京の空にも春色がおぼめき出し始めると、先生が何と云われても退院すると聞き入れなかった。幸い心電図も安定したので退院した。日に三十分位の散歩は心臓の為にもよく頭も呆けない、と云われたので毎日散歩を欠かすことなく、よく江戸川公園や、元細川邸祉の新江戸川公園へ同じ目白台アパートにいた観世の孫を誘って出懸けた。>>
mejirodaitanizaki03.jpg
(写真)目白台アパートから坂を下り、杖を携えた谷崎がゆったりとした足取りで散策した姿が思い浮かんでくる。退院直後には川沿いの桜並木は満開を迎えていたであろう、桜花を愛(め)でた谷崎には、病院のベッドにいることは耐え難かったのだろう。 
mejirodaitanizaki04.jpg

江戸川公園を川沿いに遡ると、芭蕉庵(芭蕉が河川工事を督していた期間、庵を結んだ)・水神社と過ぎ、やがて新江戸川公園があらわれる。細川家下屋敷(抱え屋敷)跡が公園として整備され、庭園・建物が一般開放されている。 
mejirodaitanizaki05.jpg
(写真)新江戸川公園。

同じ屋根の下というか、おとなりさんであった瀬戸内寂聴の谷崎潤一郎観察記を紹介。
<<私が現実に谷崎さんの実物に逢ったのは、昭和三十九年(一九六四)の正月一日だった。その頃私は東京の文京区関口台町の目白台アパートに住んでいた。椿山荘の近くにあり、その頃はやりだしたマンションのはしりだった。入ってみたら、芸能人や、銀座のバーのマダムなども住んでいて、作家たちの仕事場にもされていた。そこへ谷崎さん一家が越してこられたのだった。>>
mejirodaitanizaki01.jpg
<<最後のお住いになる家を湯河原に建てている間、臨時に住まわれたというわけらしい。アパートのエレベーターに急に若い美しい娘さんが多くなったと思ったら、その人たちは谷崎さんの『台所太平記』に出てくるお手伝いさんたちであった。松子夫人と妹の渡辺重子(*しげこ)さんも御一緒だった。地下に大きな部屋を二つ借りられ、六階に仕事部屋を一つ持たれている様子。私の部屋も六階で、エレベーターを降りると、谷崎さんの仕事部屋の前を通らなければ、自分の部屋に辿りつけない。私はそのドアの前を、足音をしのばせて息をつめて通りすぎていた。時たま、「あやかりますように」とドアを撫で、その掌で自分の頭を撫でていた。>>
mejirodaitanizaki02.jpg
<<お手伝いはよく見かけるが、谷崎夫妻には出逢ったことがなかった。
三十八年も暮れて、三十九年の新春を迎えた時、ふと窓から外を見ていると、アパートの入口で車を降りる舟橋聖一さんの姿が見えた。私はたちまち身をひるがえして廊下を走り、エレベーターで階下にとんでいった。
「先生! おめでとうございます。谷崎先生のところにいらっしゃるんでしょう。私もつれてって下さいませんか」舟橋さんは呆れたように私の顔を見たが、
「谷崎先生に伺ってからでないと。あなたの部屋は何番ですか」
と、言い捨てたまま、さっさと地下へ降りていった。
「先生がお逢い下さるそうですから、すぐ来なさい」
電話が部屋にかかり、舟橋さんの声でそう言われた時、自分で頼んでおきながら、夢ではないかと思った。廊下を走り、エレベーターに飛び乗り、地下まで降り、谷崎さんの部屋に行きつくまで雲の上を歩いているような気持だった。ドアをあけると、広いリビングに大きな応接セットがあり、右側の椅子に埋められたように小さな老人がかけていた。(略)>>
瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」日経新聞出版社2008年刊より抜粋。

参考 年譜「谷崎潤一郎全集第26巻」中央公論社1983年刊

谷崎潤一郎リンク
神田南神保町 谷崎潤一郎の文壇デビュー 「青春物語」より http://zassha.seesaa.net/article/443072199.html
京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/442840656.html
京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/443206554.html
大阪船場・御霊神社 御霊文楽座 谷崎潤一郎「青春物語」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/443158094.html
大阪南 旅館(待合)千福とカフエ・ユニオン 谷崎潤一郎「芥川龍之介が結ぶの神」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/432273298.html?1493981055
京都宇治 平等院鳳凰堂 谷崎潤一郎「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/423690257.html
京都島原 角屋(すみや) 谷崎潤一郎 「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/424681960.html?1494858522
【関連する記事】
posted by y.s at 15:17| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。