詩人田中冬二が薬師寺を訪れ、「薬師寺秋思」を作詩した時点で、西塔は未だ再建されておらず、礎石が残されているだけであった。享禄元年(1528)9月、薬師寺の金堂・講堂・西塔が兵火に灰燼に帰している。昭和9年になり西塔跡基壇周りで地下遺構の調査が行われ、戦後、昭和56年に至って、やっと失われていた西塔が再建されて甦える。現在、西塔と同じ様式(三重、各層ごとに裳層が付けられ六重塔に見える)を持つ東塔(国宝)は長期にわたる修復工事中。塔全体がすっぽりと工事シートで覆われ、その美しい姿を垣間見ることもできない。東西の塔は宝塔であり、塔内に釈迦如来八相成道形を安置している。
南大門脇から見た西塔の上層階。
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「薬師寺秋思」 詩集「織女」より
奈良の秋は漸く深く木犀(もくせい)の香りもうすれ
石榴(ざくろ)の木に山茶花(さざんか)に鵯(ひよどり)が来た 頬白(ほおじろ)が来た
ゆうぐれ近く薬師寺の金堂の内陣は折から勤行(ごんぎょう)の最中で
薬師如来を拝する私達二人にはこの上なき仕合せであつた
合掌の後 私達は西塔の礎石跡の方へ歩を移した
そのひとは絶えず私をささえていてくれた
暮れかかる薄明りの中に西塔跡の心礎の水面に映る東塔の水煙のかげを
私達はぴつたりと寄り添つてみた
美(うる)わしく聡明でやさしくまたよく気のつくそのひとを
水煙のかげが永遠に忘れ得ぬひとにした
奇しくも水煙の天女は夙(つと)にそのひとの思慕でもあつた
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中門横からの西塔基壇。撮影2012年4月。
詩集「織女」1978年潮流社刊
「田中冬二全集第2巻」1985年筑摩書房刊より
ルビは適宜振りました。
参考:「寺院神社大事典 大和・紀伊」1997年平凡社刊

