志賀直哉全集第12巻収録分「日記」より。
<<十一月七日 金 午后二時半頃の氣車にて出発 紅葉が、美しかつた。生野あたり殊(こと)に美しかつた。姫路駅下車、直ぐ夜の町に散歩に出る 「お菊神社」を暗い所に見た、月あかりにお城も見た。十一時頃、停車場前の宿屋へかへる
十一月八日 土 姫路午前八時半出発、十二時半尾道着、>>
この月夜の姫路駅近辺の散策が、代表作「暗夜行路」に形を変えて描写されている。
現在の姫路駅前(姫路城口)。2017年撮影。
以下、「暗夜行路」より。
<<謙作は疲れてゐた。彼は又いつか眠つてゐた。
姫路へ着く一時間程前から漸く彼は本統に眼を覚ました。其汽車は京都止りの列車だつたから、彼は京都で急行を侍ち合せてもよかつたのだ。然し、姫路の白鷺城を見る事も興味があつたし、それに出掛にお栄から明珍の火箸を買つて来て呉れと頼まれた、それを想ひ出してゐたからであつた。(略)
五時頃姫路へ着いた。急行までは尚四時間程あつた。彼は停車場前の宿屋に入り、耳の葛法(あんぽう)を更へ、夕食を済ますと、俥(くるま*人力車)で城を見に行つた。老松の上に聾(そび)え立つた白壁の城は静かな夕靄(もや)の中に一層遠く、一層大きく眺められた。>>
志賀直哉が月あかりに眺めた姫路城は、もうすこし離れたところからだったような気がする。
<<車夫は土地自慢に、色々説明して、もう少し側まで行つて見る事を勧めたが、彼は広場の入口から引き返さした。それから、彼はお菊神社といふのに連れて行かれた。もう夜だつた。彼は歩いて暗い境内を只一卜廻りして、其処を出た。お菊虫といふ、お菊の怨霊の虫になつたものが、毎年秋の末になると境内の木の枝に下るといふやうな話を車夫がした。>>
姫路駅(志賀直哉が泊った宿)から徒歩数分の場所にあるお菊神社。神社の外塀には、
「播州皿屋敷・お菊物語」の看板が掲げられている。祭神は菊姫命。お菊虫の画像(資料)は、
ドロドロの溶けた液体がたれているエイリアンのようで気味悪いので省略。
「暗夜行路」1976年筑摩現代文学大系より抜粋。
志賀直哉リンク
京都 山科 志賀直哉邸跡 「山科の記憶」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/447362573.html
茗荷谷 切支丹坂 志賀直哉「自転車」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/447574437.html
京都円山 左阿弥 志賀直哉「暗夜行路」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/422883782.html
奈良 幸町 志賀直哉旧居跡 「転居二十三回」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/444651650.html
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