「春の雪」(豊餞の海・第一巻)新潮文庫1969年新潮社刊より抜粋。
<<(略) こうして十八歳になった清顕(*松枝清顕まつがえきよあき)が、だんだん自分の環境から孤立してゆく思いにとらわれたのは当然だろう。孤立してゆくのは、家庭からばかりではない。学習院が院長乃木将軍のあのような殉死を、もっとも崇高な事件として学生の頭に植えつけ、将軍がもし病いに死んでいたら、それほど誇張した形であらわれなかったろう教育の伝承を、ますます強く押しつけてきたことから、武張ったことのきらいな清顕は、学校に漲(みなぎ)っている素朴で剛健な気風のゆえに学校を嫌った。
友だちと云っては、同級生の本多繁邦だけと親しく附合った。もちろん清顕と友だちになりたがる人は多かったけれども、彼は同年の野卑な若さを好まず、院歌を高唱してうっとりしたりする粗雑な感傷を避け、その年齢にしてはめずらしい本多の、もの静かな、穏和な、理智的な性格にだけ心を惹かれた。そうかと云って、本多と清顕は、外見も気質もそんなに似通っているというのではなかった。(略)>>

学習院正門(1970頃撮影)。乗用車が年代を表している。

学習院構内(南西位置)に残る旧学生寄宿舎総寮部(乃木舘、明治41年9月築)。乃木希典第10代院長(伯爵、任期は明治40年1月31日〜大正元年9月13日)は開寮と同時にここに起臥し、学生と寝食をともにした。
<<しかしこの二人が、世にも親しい友だちであったことはたしかで、学校で毎日顔を合わせるだけでは足りずに、日曜には必ずどちらかの家へ行って終日すごした。もちろん清顕の家のほうがはるかにひろく、散策の場所にも恵まれていたので、本多が来る数のほうが多かった。
大正元年の十月、紅葉が美しくなりかけた或る日曜日に、本多は清顕の部屋へ遊びに来ていて、池のボートに乗ろうと云った。例年なら紅葉の客がそろそろ多くなる季節であるが、この夏の御大喪(ごたいそう)のあと、松枝家はさすがに派手な交際を慎しんでいたので、庭もいつにまして深閑として見えた。(略)>>

松枝清顕家(侯爵家)のモデルは、その描写からも「渋谷の高台に建つ」広大な西郷従道邸であることは明白。明治10年代に築造された邸内中心部の洋館は現存する。描写にある通り明治天皇の行幸も仰いでいる。西郷隆盛も鹿児島に退く直前のわずかな日々をここで過している(母屋に宿泊*西郷隆盛全集参照)。主人公と親友の二人の青年が談笑する姿が幻視できる、はずだ。

西郷邸洋館の寝台。清顕君のベッドなのだ。
<<清顕は学習院高等科の最上級生になった。来年の秋は大学へ進むことになるので、入学試験の勉強を一年半も前からはじめる者もある。本多にはそういう素振(そぶり)もないところが、清顕の気に入っていた。 乃木将軍の復活させた全寮制度は、建前としてはきびしく守られていたけれど、病弱の者には通学が許され、本多や清顕のように、家庭の方針で寮に入っていない学生は、それ相応のもっともらしい医者の診断書を持っていた。この贋(にせ)の病名は、本多は心臓弁膜症であり、清顕は慢性気管支カタルであった。よく二人はお互いのいつわりの病気を冷やかし合い、本多は心臓病の息苦しさをまね、清顕は空咳(からぜき)をしてみせるのだった。
誰一人かれらの病名を信じている者もなく、二人はまことらしさを装う必要もなかったが、日露戟役生残りの下士官たちがいる監武課だけは例外で、そこではいつでも形式的に、意地わるく彼らを病人扱いにした。教練の訓示の折などは、寮生活もできない病弱の徒が、一朝(いっちょう)事あるときにどうしてお国の役に立とうか、などとあてこすりを言うのであった。(略)>>
*ルビは原文にないものも振ってあります。
参考:学習院HP http://www.gakushuin.ac.jp/
三島由紀夫リンク
奈良 円照寺 三島由紀夫「春の雪」(豊饒の海・第一巻)より http://zassha.seesaa.net/article/442450850.html
京都土御門町 安倍晴明邸址 三島由紀夫「花山院」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/372786698.html?1494827046
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