2017年10月16日

目黒緑ヶ丘 三島由紀夫旧居跡 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」より

三島由紀夫は、敗戦をはさんで13年間にわたり居住した渋谷大山町の家から、昭和25年7月末〜8月初めにかけての時期に、目黒区緑ヶ丘2323番地(旧住居表示)の瓦ぶき木造二階建ての大きな邸に移転した。この新邸は、東横線都立高校駅(後に都立大学駅)から徒歩8〜9分の坂を上りきった陽当りの良い一等地にあった。東西南北すべての方角から坂を上らないとこの場所には辿り着けない、まさにTOP OF THE HILL といえる。この邸の書斎から、「金色(きんじき)」、「夏子の冒険」、「潮騒」、「沈める滝」(主に伊東川奈ホテルで執筆)、「金閣寺」(熱海ホテルで擱筆)、「橋づくし」、「美徳のよろめき」、「鏡子の家」などの三島の代表作が産み出されている。
*擱筆(かくひつ)=筆を置く、脱稿の意。
mishimamidorigaoka01.JPG
緑ヶ丘2323番地の三島邸跡。

瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」2008年日経新聞出版社刊より抜粋。
<<三島由紀夫さんがボディビルで肉体の改造をしたことは、つとに有名な話だが、私は改造前の三島さんに一度だけ逢っている。まだ緑ヶ丘の旧(ふる)いお家に御両親と住んでいた頃で、一度だけ招かれて私はお宅に伺ったことがある。文通はしていても初対面で、私の方はたいそう緊張していた。
玄関脇の小さな部屋で待つほどもなく現われた三島さんは紺絣(こんがす)りの着物を裾短かに着て、まるで書生っぼく、まぶしいほどの流行作家とは見えなかった。どうかした拍子に覗く胸元の胸毛の濃さと、立居の折に見える貧相な葱(ねぎ)のような脚に似合わない堂々とした体毛に圧倒された。顔色は蒼白く、体つきもきゃしゃで、濃い体毛を見なければ、女性的といえる体つきであった。
ただ向かいあってひたと見合せた二つの瞳がきらきらと暗闇の猫の目のように金色に輝いていて、その光の強さに思わず目を伏せずにはいられないほどであった。ああ、これが天才の目というものかと、私はひたすら感動してしまった。その後もあんな目をした人に出逢ったことがない。お互い手紙の中のふざけた調子は忘れ、ひどく生真面目な話をしたように思うが、よほど上っていたのか、今、何も覚えていない。
その後間もなく芝居の招待を受け、そこで母上と、まだ学生服の弟さん千之さんに紹介された。
その後新築された世評に高い豪壮な洋館には一度も行ったことがない。大人の小説を書いて作家の末端を汚すようになってからは、こちらの方で遠慮して、つとめて距離を置くようにした。もう新刊書の批評や感想などはふっつりと送らなくなった。それが礼儀だと思った。それでも文壇のパーティーなどでは、たまに顔を合わすことがあると、遠くから目礼を交しあって、それで十分心が充たされた。(略)>>
mishimamidorigaoka02.JPG
三島邸跡を坂下から望む。

瀬戸内晴美(のちに寂聴と改名)の三島邸訪問は、昭和26年7月12日。友人と連れ立って二人での訪問であった。
他にも、緑ヶ丘在住時代の三島には様々な転機といえる事象が起こっている。
昭和31年1月に後楽園ジムのボディビルコーチに弟子入りして肉体改造に本格的に着手したこと。その肉体は写真家・林忠彦によって写し撮られている(昭和31年3月、緑ヶ丘の自宅にて)。その鍛えられた体は、自由が丘駅近くの熊野神社例大祭(昭和31年8月)の神輿担ぎでも確認できる。虚弱な肉体と別れを告げ、ボディビルの成果が顕著に表れた写真が何枚も残されている。
mishimamidorigaoka03.jpg
自由が丘駅近くに社を構える熊野神社の例大祭。2009年9月の神輿巡行。

そして昭和33年6月1日、川端康成を媒酌人として杉山瑤子と鳥居坂の国際文化会館で挙式。
結納は杉山家で5月9日に執り行われている。
mishimamidorigaoka04.jpg
鳥居坂町(六本木5丁目の一部の旧名)の旧岩崎邸庭園の敷地に建てられた国際文化会館。
その内部写真。三菱財閥所有の建物群は空襲で焼失、庭園のみが戦前の面影を残していた。

挙式間もない昭和33年10月、清水建設と新居の建設契約が締結され、昭和34年5月10日、
三島夫妻は緑ヶ丘の古い木造屋敷から南馬込の新邸(洋館)に移転する(大田区馬込東1丁目1333番)。

参考:「決定版三島由紀夫全集42」(年譜・書誌)2005年新潮社刊
   「三島由紀夫 年表作家読本」1990年河出書房新社刊
三島由紀夫リンク
奈良 円照寺 三島由紀夫「春の雪」(豊饒の海・第一巻)より http://zassha.seesaa.net/article/442450850.html
京都土御門町 安倍晴明邸址 三島由紀夫「花山院」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/372786698.html?1494827046
目白 学習院 三島由紀夫「春の雪」(豊饒の海・第一巻)よりhttp://zassha.seesaa.net/article/454213185.html
【関連する記事】
posted by t.z at 17:49| Comment(1) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
三島先生の小説とは全く関係ない話になります。へなちょこ?体型の先生が、見事な肉体美に変身できたのは、コーチにマンツーマンで教えてもらって、正しいトレーニングをしたからだと思います。私も、30代に入ってから、体型維持を目的に、バーベルを使ったトレーニングに着手しました。体型維持と引き締めを目的としたものですから、マッチョな男がやるような重たいウェイトを2つ3つ付けて、「ウリャー」とやるものではありません。程よい重さのウェイトで、効かせたい部分を意識するトレーニング方法です。ですが、それをジムのスタジオで集団でやると、ただ重たいウェイトを持ち上げたり、担いでひたすら重さに耐えて(拷問?)いれば、三島先生のようになると勘違いしている輩がいて、「肉体改造できなかったら、潔く腹を切れ!」と言いたくなります。自由が丘駅近くのジムに行っていますが、上品なマダムに囲まれているせいか、お祭りの写真を見てもピンときません。オホホの方々は、わっしょいなんかやらないと頭の中に出来上がっているからでしょうか?
Posted by 定マニア at 2017年10月20日 21:47
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。