<<「文體」(*)から、二十日までに二十枚書け、と言つて来ましたが、これも年内には、稿料もらへる見込みもなし、「文體」には稿料、全くあてにせず、いい短篇とにかく逸らう(*)と思つてゐます。>>
昭和13年12月16日付井伏鱒二宛書簡より。
(*)文體(=文体) 新創刊の文芸誌、三好達治編集、発行者は宇野千代。
(*)逸らう=早く実現させたいの意。
太宰治傑作短篇集「思ひ出」に付けられた「前書き」には、
<<「富嶽百景」は、昭和十四年に書いた。スケッチの連続である。>>
御坂峠の天下茶屋前より。右下に霞むのは河口湖。
短編「富嶽百景」。「太宰治全集第3巻」1998年筑摩書房刊収録より抜粋。
<<昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。
甲州。ここの山々の特徴は、山々の起伏の線の、へんに虚しい、なだらかさに在る。小島烏水といふ人の日本山水論にも、「山の拗(す)ね者は多く、此土に仙遊するが如し。」と在つた。甲州の山々は、あるひは山の、げてものなのかも知れない。私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠へたどりつく。
御坂峠、海抜千三百米。この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから(*1)、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しようと思つてゐた。
井伏氏は、仕事をして居られた。私は、井伏氏のゆるしを得て、當分(とうぶん)その茶屋に落ちつくことになつて、それから、毎日、いやでも富士と眞正面から、向き合つてゐなければならなくなつた。
この峠は、甲府から東海道に出る鎌倉往還の衝に當(あた)つてゐて、北面富士の代表観望臺(かんぼうだい)であると言はれ、ここかち見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞへられてゐるのださうであるが、私は、あまり好かなかつた。好かないばかりか、軽蔑さへした。あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲(うずくま)つて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。
私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂星のペンキ畫だ。芝居の書割だ。どうにも注文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。>>
(*1)8月4日頃からで、井伏は長期滞在の予定で天下茶屋に滞在していた。太宰の訪問は9月13日、
9月18日に井伏は太宰を伴って結婚相手の石原美知子の家(甲府市内)を訪れている。
翌19日、井伏は40日余にわたる茶屋籠りを終え、節代夫人と共に帰京する。
現在の天下茶屋。規模を拡張して建替えている。すぐ奥に御坂隧道(トンネル)がある。
<<(略) その翌々日であつたらうか、井伏氏は、御坂峠を引きあげることになつて、私も甲府までおともした。甲府で私は、或る娘さんと見合することになつてゐた。井伏氏に連れられて甲府のまちはづれの、その娘さんのお家へお伺ひした。井伏氏は、無雑作な登山服姿である。私は、角帯に、夏羽織を着てゐた。娘さんの家のお庭には、薔薇がたくさん植ゑられてゐた。母堂に迎へられて客間に通され、挨拶して、そのうちに娘さんも出て来て、私は、娘さんの顔を見なかつた。井伏氏と母堂とは、おとな同士の、よもやまの話をして、ふと、井伏氏が、「おや、富士。」と呟いて、私の背後の長押(なげし)を見あげた。私も、からだを捻ぢ曲げて、うしろの長押を見上げた。富士山頂大噴火口の鳥瞰寫眞が、額縁にいれられて、かけられてゐた。まつしろい水蓮の花に似てゐた。私は、それを見とどけ、また、ゆつくりからだを捻ぢ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があつても、このひとと結婚したいものだと思つた。あの富士は、ありがたかつた。井伏氏は、その日に歸京なされ、私は、ふたたび御坂にひきかへした。>>
天下茶屋の品書き板。
<<私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぼんやり崖の方を、眺めてやつた。老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぼんやりひとこと、
「おや、月見草。」
さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花辨(かべん)もあざやかに消えず残つた。三七七八米の富士の山と、立派に相對峙(あいたいじ)し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。
富士には、月見草がよく似合ふ。>>
太宰が草花を摘む痩せた遊女を見たのはどちら側だろうか。反対側の口がみえない御坂隧道(みさかずいどう)を大股で太宰は歩き入った。中央部が高くなっているこのトンネルは、昭和5年10月に着工、昭和6年
11月の竣工。全長396m。
<<(略)朝に、夕に、富士を見ながら、陰鬱な日を迭つてゐた。十月の末に、麓の吉田のまちの、遊女の一圃體(*団体)が、御坂峠へ、おそらくは年に一度くらゐの開放の日なのであらう、自動車五臺(*台)に分乗してやつて来た。私は二階から、その様を見てゐた。(略)
茶店の六歳の男の子と、ハチといふむく犬を連れ、その遊女の一團を見捨てて、峠のちかくのトンネルの方へ遊びに出掛けた。トンネルの入口のところで、三十歳くらゐの痩せた遊女が、ひとり、何かしらつまらぬ草花を、だまつて摘み集めてゐた。私たちが傍を過つても、ふりむきもせず熱心に草花をつんでゐる。この女のひとのことも、ついでに頼みます、とまた振り仰いで富士にお願ひして置いて、私は子供の手をひき、とつとと、トンネルの中にはひつて行つた。トンネルの冷い地下水を、頬に、首筋に、滴滴と受けながら、おれの知つたことぢやない、とわざと大股に歩いてみた。>>
*原文には無いルビも振っています。
昭和14年1月8日に井伏夫妻の媒酌で太宰と祝言をあげた津島美知子(旧姓石原美知子)が、「御坂峠」と題したエッセイを残している。
<<御坂トンネルの大きな暗い口のすぐわきに、国道に面して、この天下茶屋は建っている。茶店といっても、かなり広い二階家で、階下には型通りテーブルや腰掛を配置し、土産物やキャラメル、サイダーなどを並べ、二階は宿泊できるようになっていた。
御坂トンネルが穿(うが)たれて甲府盆地と富士山麓を直結する国道八号線が開通したのが昭和五年頃で、河口湖畔に住むTさんがこの茶店を建てたのはその後のことであろう。甲府盆地では御坂山脈に遮られて富士は頂上に近い一部しか見えない。盆地からバスで登ってきてトンネルを抜けると、いきなり富士の全容と、その裾に拡がる河口湖とが視野にとびこんで、「天下の絶景」に感嘆することになる。トンネルの口の高いところに「天下第一」と彫りこまれている。それでこの茶店は「天下茶屋」とよばれていた。(略)>>
「太宰治全集3」1998年筑摩書房刊に収録。
隧道(トンネル)に掲げられた扁額「天下第一」。天下茶屋の命名由来となった。
井伏より太宰への昭和22年9月4日付の書簡。太宰の死の約9ヶ月前の手紙。
師である井伏鱒二の太宰に対する慈愛にあふれる眼差しがそそがれている文章。
<<先月二十日すぎに岳麓から御坂峠に行って一泊、甲府におりて一泊の旅行に出かけました。御坂峠の茶店では次女が電線の切れて垂れさがってゐるのに触って即死したといふことです。うちの比奈子と同じ年で、君のことをタダイさんと云つてゐた子供です。茶店のおやぢさんは甲府の町で君の小説を買つて来て読んだと云つてゐました。君が原稿を書きにこの山に来ないものかと心待ちにしてゐました。(略)>>
昭和23年6月19日朝、玉川上水から山崎富栄と入水した太宰の遺体があがる。
昭和27年12月31日(大晦日)、太宰文学碑建立のため、井伏は石探しのため片山の採石場を訪れる。
昭和28年7月21日、井伏は太宰治文学碑が建てられる予定の御坂峠の現地を小沼丹らと下検分する。
同年10月31日、御坂峠に建立された太宰文学碑の除幕式。井伏が開会の辞を述べる。
太宰文学碑。「富士には月見草がよく似合ふ」の撰文は井伏鱒二による。
井伏鱒二「御坂の文学碑」(昭和38年7月「マドモアゼル」誌初出)より。
<<太宰治の「富嶽百景」によると、御坂峠から見える富士山は絵葉書向きで、この風景は見ていると顔が赫(あか)くなるそうである。しかし皮肉なもので、この峠の茶店の前に太宰治の文学碑が建てられた。これは甲府の野口二郎さんの肝いりで、太宰の友人であった我々がそれに賛成したからである。この文学碑には、「富嶽百景」の太宰の自筆稿本からとった富士には月見草がよく似合ふ≠ニいう文句が刻んである。しかし富士に似合うのは月見草に限らない。路傍に咲いているイタドリの花でも何の花でもよく似合う。
御坂峠の茶店にいた頃の太宰君は、あの場合、一ばん雑で月並な野草の花を持ち出したまでであった。
たぶんそうであったろうと私は思っている。>>(以上全文)
「井伏鱒二全集第22巻」1997年筑摩書房刊に収録。
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