2017年10月18日

成城 横尾忠則アトリエ 「千夜一夜日記」より

yokoo world in seijoシリーズ。
今回は、森林の緑につつまれた横尾忠則第一アトリエ(第二アトリエは東宝スタジオ内)と読書・散歩・日光浴と多用途使いの横尾氏お気に入りの緑地公園のビジターセンター。ポップアートの旗手から画家へと進化(深化)し、歩みを止めないevolution氏の足跡を、横尾氏自身の「横尾忠則千夜一夜日記」から追い求めてみる。
*原文の日付は全て漢数字が使用されているが、便宜上変更した。

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2013年9月15日 日曜日
朝から台風十八号がもたらす大雨。足の痛みで歩行困難なり。降ったり止んだりの中、自転車で増田屋(*横尾氏が普段使いする駅近くのそば屋)へ。打撲には鮭、餅、豚は禁物。冷しきつねうどんを注文。薬局で消毒液とパテックスを買ってアトリエヘ。100号キャンバスに向かうが気力が湧いてこない。

2013年9月28日 土曜日
午後足を引きずりながらアトリエ横の神明の森の遊歩道を抜けて野川辺の公園へ。陽当りのいいテラスでココアを飲みながら日光浴。時々川面を駆ける風がテラスまで吹き上げてきて気分爽快。足の不自由さによって長い休養時間を天からいただいているような気がするんですよね。
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野川緑地広場のビジターセンター(世田谷トラストまちづくりビジターセンターが正式名)。

2013年11月26日
アトリエ横の森を抜けて野川公園へ。昨夜の風雨で森の地面は枯葉で埋まっている。松葉のヤニの匂いが鼻を掠める。公園の芝生のベンチで清張の「点と線」を読む。天才的アリバイ作りの犯人を片端から崩していく作家は、賽(さい)の河原に積み上げた石の山を自ら壊していく、そんな一人遊びに似ている。(略)
(*松葉のヤニの匂い・・アトリエ近くの市民緑地の遊歩道は、アカマツ・桜などの樹木に覆われている。)
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横尾氏が読書した野川公園芝生のベンチ(数は少ない)。ここだろうと独り合点。

2013年12月31日
森の遊歩道の入口(アトリエの入口と並んでいる)に土屋嘉男さん(*俳優)の電動式自転車が止めてあるので、公園に様子を探りに。案の定ご本人を発見。タマ(*愛猫)の眼薬とパテックスと、葛根湯と爪切りと、風呂の腰掛けとスティック糊を買う。アトリエで年忘れ描き納め (未完のまま)。

2014年1月7日
低気温ながら好天なり。森の中の空地の切株に腰を下して日向ぼっこ。この寒いのに公園の日陰で女子中学生二人黙々と剣道の稽古に励んでいる。骨が折れるような竹刀のぶつかる音にわが身に気合が入る。ヨツシャ! 事務所のパソコンが電脳梗塞を起こし、半死半生。これも有為転変なりか。
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森の中の切り株は、これか? 他には見当たらない。

2014年1月17日
午前中野川公園へ。遊歩道を登ってくる土屋さんに会う。
アトリエのベランダの柵にからみついて密林化していた樹木の太い蔓を植木屋さんに切ってもらったので、西の空がうんと明るく広がって、富士山が遠望できる。特に夕焼は絶品。アトリエの外部はスッキリしたけれど、内部のキャンバスの中の絵は逆に蔦がからまって身動きがとれなくなつてしまった。

2014年1月22日
冷んやり快々晴。アトリエで絵のマネごとをする。合間に座右の書「キリコ回想録」(立風書房)を読む。キリコのぼやき節はモダニストの耳に銃弾だ。

2014年2月9日 日曜日
一夜明けると目も覚めるような快晴。アトリエと公園に行きたい。雪と凍結の道路を考えるとこの足では無理。覚悟を決めて読書に徹しようと書庫から古書化した本を揃えてみるが、やっぱりこの好天を見ると憎悪が湧き、どうしても外出したい。整体院の萩原さん(*この頃の整体院はケーキカフェ・マルメゾンに隣接)と連絡をとると車で迎えに来てくれるという。

2014年2月20日
薄日が差すアトリエのマーラー、ブルックナー、ワーグナーの大音響が不眠の毒素を放出させる。あとはヤケクソになって描く。
そのヤケクソにこそ神宿るのである。肖像画は似顔と違う。似ないように描く勇気が必要。絵のリアリティは自然の否定や。なんぼでも描ける時は危険。
身を引く術を知らなきや。中庸ってやつをね。また行きづまるのは自己定義するからや。(略)

2014年2月21日
青天。裏庭(*自宅)の桜の巨木の枝が蜘昧の巣のように空を覆い始めた。花をつける準備や。
春近し♪ アトリエ横の森の遊歩道が氷結状態で歩行が困難。野川の公園にも行けない。本来は公園管理係の仕事なのにやらないので、スタッフと道を作る。腰に来たけれど潜在的体力を確認。
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氷結したアトリエ横の遊歩道。先は崖道になり野川方向に下っている。
管理は世田谷区砧公園管理事務所が担う。開園時間は年間通して8時30分から。
土屋さんが電動自転車を停めたのもこの辺り。

2014年3月10日 
アトリエのリニューアルの件で、設計者の了解を取らなきや、と磯崎新さん(*建築設計理論家、「新」の読みはアラタ、横尾アトリエの設計者)に電話。お互いに体調の情報交換をしている内に草津温泉に行こうともり上る。(略)

2014年3月11日
自宅の外観とアトリエの内部のリニューアルのため業者に会う。老年意識に抵抗するためにも前向きの生活空間にクリエイティブパワーを導入。

2014年3月28日
快晴無風。野川のビジターセンターヘ。テラスで土屋嘉男さんトロトロ居眠中。
カワセミとアトリエの外観を撮った写真を見せてくれる。俳優の写真はどことなく映画的。誉めると「絵を描きたいので弟子入りしたい」と。プロこそ素人に弟子入りしたいのよ。(略)
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ビジターセンター前を流れる野川の川面には野鳥ものんびり日光浴しながら居眠中。

2014年4月 パリの大北斎展(グラン・パレ)の北斎ドキュメンタリー映画に出演、ジャン=ピエール・リモザン監督がアトリエで撮影。
フリードマン・ベンダ画廊(ニューヨーク)のマーク・ベンダ氏が翌年の個展依頼にアトリエ来訪。
ボストン美術館のキュレイター、ジャッキー・エルガー氏がアトリエ来訪。

2014年6月21日 土曜日
点滴の眠剤のせいか五、六時間眠るが、みぞおちが少し痛む。
山田さん(*自宅が近所でなかよし。映画「寅さん」シリーズの監督)を自宅にお呼びする。妻は山田さんの話に聞き入る。カルティエの肖像画がフランスに渡ると帰ってこないので、親しい人には見てもらっておこうと山田さんをアトリエにお誘いする。

2014年8月 オノ・ヨーコ氏がアトリエ来訪。
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オノ・ヨーコ(故ジョンレノン夫人)も座った客人と兼用の黒いチェア、壁に貼ってあるポップアートポスターなどが森の遊歩道から垣間見ることができる。窓際に置かれた黒いチェアに座って瞑想する横尾氏のもじゃもじゃ頭も見ることができる。プライバシ―保護のため、室内部分は大幅にトリミング。

2014年9月 アトリエ改装工事のため東宝スタジオ・山田洋次監督ルームの仮設アトリエで制作開始。

2014年10月19日 日曜日
日曜日、晴。喫茶店、アトリエのバルコニーで終日東野圭吾「秘密」読む。小説の醍醐味は分離したもうひとつの現実を獲得すること? 死が宇宙をもたらすと同時に愛が現実を奪う。得ることは失うことなり。この作家のことを今まで知らなかったのは不覚。このあと「流星の絆」も読みます。

2014年11月30日 日曜日
寝室の窓の外の台の上に黒猫が寝そべっている。タマの後継者としてクロタマと命名。タマのテリトリーを占拠し、野良の分際でタマのエサには見向きもせず。なのに肥満体。
アトリエのバルコニーで森林浴。毎日バルコニーの床にお寺の庭みたいに黄色い落ち葉がピッシリ。散歩がてらに街に出たついでに古本シャガール展のカタログ買う。彼のアトリエの一枚の写真から決定的な霊感を得る。シャガールからはいつも多くの賜物を与えられる。なにげない時にそれは降ってくる。
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アトリエのバルコニー。樹木が茂り南西に向いたベランダはよく見えない。

2014年12月28日 日曜日
終日、アトリエで孤独を友に無為な一日。台風の目の中で惰眠を貪り、ゆく年を見送り、くる年を迎えながら大あくび。つまんない年の瀬。

2015年3月7日 土曜日
どんより日和。自宅近くの喜多見不動堂、神明の森辺りをぐるりと小一時間散策。いつの間にか野川近くに南国リゾート風の建物増殖、日本型富の象徴? アトリエで途上の絵を眺めて一日終る。
(*小田急線ガード近くの成城側の野川沿いに新しい地中海リゾート風の住宅が建ち並んでいる)

2015年4月16日
アトリエのゲートの色が退色したので明るいエメラルドグリーンを加色。

2015年5月17日 目曜日
快晴。天婦羅蕎麦、鯛焼を食べて「荘子」を読む。(略)
アトリエの二階から室外に張り出した手すりつきの台はテラス?パルコ二―?ベランダ?
どっち?辞書によるとわがアトリエの建造物はバルコニーであることがわかった。今日の午後はそのバルコニーから森の樹木の間からチラホラ見える遊歩者(相手からは見えない)の盗み見を愉しむ。

2015年5月27日
快晴真夏日和。早朝から富士見橋でメラトニン日光浴。
終日アトリエで制作。同一主題を連歌の如く変化させていくプロセスを作品とする連作。作品の複数化であると同時に私の増殖化、そして私の消滅化。

2015年5月28日
午後、東宝で山田監督と映画音楽のミーティングが終った直後、坂本龍一さん(*元YMOメンバー)が突然アトリエに。七年前NYの個展の時、向こうで会って以来。「三年前かと思っていた」と坂本さん。地球の自転が速くなっているのでは? と思うほど時間の速さには怖いものがある。体力的に海外旅行はキッイのでそっちには行けないけど、秋のNYの個展にはぜひ、ぜひ、来てくれない?

2015年6月7日 日曜日
日曜日は辺りも静かで午睡の時間が漂っている感じ。アトリエでぼんやり無為の中にいる時、山田さんが現われる。アポなしの思いもよらぬ来訪者は嬉しいものだ。ロケが早く終ったそーだ。山田さんとの共有時間はほとんど映画の話だ。今日は黒澤さんの絵画のような絵コンテの話。この絵を見たカメラマンは絵を再現させるために望遠レンズを使用したそうだ。遠近感を無くすためだ。浮世絵を見た印象派の画家の発想みたい。

2015年12月13日 日曜日
思いもよらずよく眠れた。午前中のストレッチを夕方に延期。
昼、増田屋で今最も注目、露出度1の山田さんと。昨日「母と暮せば」が全国一斉封切り。上々のスタートを切ったそうだ。二次会はあんやで焼麩ぜんざい。山田さんストレッチに。傘をさすほどでもない雨。
アトリエで今週の日記をまとめる。

2016年2月6日 土曜日
一・五キロほど杖なしで歩く。アトリエまでが六百メートル位だから、倍以上の計算になるがスピードは十倍位のろい。ケガのリハビリもあるが、一ケ月以上も入院していると免疫力が極端に落ちているので体力の復活も目的だ。よく入院期間の倍の期日が退院後の養生に必要だというが、その通りの生活ができるかどうか? だ。

2016年3月10日
自転車でアトリエの道みち、田村正和さんに会う。「正和さん!寒いね」。一言「寒いですね」。以上、田村正和風でした。
箱根に運ぶ150号に最後の一筆。画竜点晴といきたいところ、やっぱり未完で終る。

2016年3月25日
アトリエの玄関のドアがボロボロになったので新しく造り直して、バルコニーの柵と同じ黄色に塗装する。ドアを黄色に変えただけで、建物のイメージががらりと一新する。
森の遊歩道から樹木越しに眺めると、黄色のドアが異次元の入口に見える。
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アトリエ玄関の黄色いドア。

2016年3月26日 土曜日
(略)アトリエの下の公園に降りてカフカの短篇集を読むが、今日の気分ではないので戻って、ヘッセの「老年の価値」(何度読んだことか)を持って再び公園のビジターセンターのテラスで読み始める。
辺りは多からず少なからず花見客が動いている光景には幸福の瞬間が出入りしている。

2016年4月9日 土曜日
ぼくはわりかし自然と親しむ時間が多い。アトリエが森に囲まれているということもあって、仕事の合間に公園に散歩にでかける。人間には自然治癒力があるが、普段から自然と接触をしているとその効力を発揮するという。病院の先生は「治る時はいつも自然治癒力です。だから横尾さんはやりがいのない患者さんです」。ほんまか?
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ビジターセンターエントランス脇のメダカの水槽(水瓶)。   

2016年4月17日 日曜日
昨夜、ぼくの寝室に例のホームレス猫が闖入。気がついたおでん(*猫名)は半分脅えている。
昼、山田さんと増田屋へ。表へ出ると嵐。自転車もダメ傘も駄目。ズブ濡れになつて帰った頃、突然ビーカン(*快晴)。アトリエヘ。日記の整理。書評の校正。次回書評本読む。

2016年4月27日
玉川病院で院長と栄養士を交えて食事療法の見直しを。
背後から迫って来る車の音が聴こえないので自転車にバックミラーを装着する。ミラーの中で去って行く風景は過去の風景。手前に迫る風景は過去(*??)。それを見るぼくは現在。
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本邦初公開、横尾氏の愛車「疾走号」(!)。サドル・後部荷台・難聴者用バックミラーなどの
特徴のある部分はトリミングカット。この自転車は一度盗難にあうが、無事に生還。

2016年4月30日 土曜日
アトリエの外壁塗装工事完成。地下の秘密基地も完成。「エリア51」とでも名付けようか。

2016年5月6日
地下の秘密基地で山田さんとピンポン(*えっ、地下に卓球台があるんだ)をする。全身運動と疲労が紙一重。飛蚊症の診察で宮地眼科へ。眼底出血のため日大病院眼科の先生を紹介さる。
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以上、大部(たいぶ、分厚いの意)の「横尾忠則千夜一夜日記」からほんの一部分を抜萃。
日記に関して、「あとがき」に横尾忠則氏の言葉が添えられているので付け足す。
<<真面目に日記をつけるようになって四十六年になる。そんな日記帖が四十六冊になった。一日の記述はそんなに長いものではないが、生活の一部になっていて、朝、歯を磨いて、髭を剃り、洗顔する行為とそう変らないので、別に苦にならない。
今回上梓した日記は、毎晩書いている日記とは別に、公開を前提にした日記のための日記である。「週刊読書人」に連載を始めた二〇一三年七月八日から一日も休まずに書き続けた千三十六日の日記ということで「千夜一夜日記」と名付けた。日記は今後も書き続けると思うが、年齢のことを考えるとどうなんだろう。ある日突然プツンと糸が切れるように記述が終るかも知れない。あっちが悪い、こつちが悪い、さあ病院だ、入院だなんて騒々しいのは読んでいただいた方にはぼくの単なる趣味ととらえて、そう特別驚かれることもなかろう。日記があるから騒いでいるのかも知れない。日記が結構ストレスのはけ口になっており、このことが躰と心のバランスをとってくれているのかも知れない。>>
その後の日記は、書籍化されていないが、連日のように横尾忠則サイトのなかで「ネット日記」として公開されている。
以下、ネット日記からアトリエに関連する部分を抜萃。

2017年9月7日
土屋嘉男さんの死が半年後に報道された。人をかついだり、騙したりするのが好きな大好きな土屋さんらしい。土屋さんはアトリエの横の遊歩道を散歩コースにしていたので、よく窓の外から手を振って合図をしていた。だからよく会っていた。ところが去年から音信不通になって、電話も掛からなくなっていた。2度も階段から落ちて入院していたのは知っていた。
ぼくの事務所のスタッフと、今年の初めの頃、「実は土屋さんはすでに死んじゃってて、その死を発表しないように家人や事務所に伝えているんじゃないかな?」と話したことがある。土屋さんはお遊びの大好きな人だから、こんなことをいつも考えている人だったので、ぼくは「あり得る」と思っていた。 今、思えば自分の死まで、遊んじゃったような気がする。

2017年9月11日
兵庫県立美術館の「怖い絵」展も大好評。タイトルで得をしていると思う。これが「ヨーロッパのロマン派展」なら、敷居が高い。お化け屋敷を見るつもりで来るといわれているみたいだけれど、それは違う。お化け屋敷は身体的な体験だけれどこの展覧会は教養的心理主義みたいなところがある。北朝鮮の外的恐怖ではなく、霊的恐怖に近い。しばらく絵から遠ざかっていたが、郷里で10点ばかり制作したので、制作ぐせがついたのか、帰京して早速、キャンバスに向っている。労働習慣をつけなきゃ。
留守の間にアトリエと庭がきれいになっていた。さあ、お仕事を始めましょうと言われている感じだ。アトリエの一部に畳を敷いて日本間を作ることにした。環境を変えるのが気持を変えるのに一番てっとり早い。

2017年09月20日
現在、六本木の青山ブックセンター(*六本木通り沿い)で、ぼくの書評集「本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた」(光文社新書)に載っている133冊の内で仕事と人生に影響を受けた本が相当数、展示即売しています。現物と書評を見比べて下さい。
今日から東宝スタジオの山田組の監督ルームの一角にアトリエが設置されます。2つのアトリエを行ったり来たりして制作します。
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東宝スタジオ。撮影所内に入るには通行パスを提示せねばならない。

2017年09月25日
今日から東宝スタジオの山田組の監督ルームの一角にアトリエが新設された。早速、午前中から絵を描きに。あと50点描く予定のタマ(猫)の絵を。
メインとサブの2つのアトリエで異なる絵の制作。2つでも3つでも、4つでも、アトリエは多いほどいい。場所が変れば絵が変るからだ。今日の夕方、デュラン・デュランのジョン・テイラーに続いて、ニック・ローズがアトリエに来ることになっている。

2017年10月11日
アトリエでの履物を健康サンダルから藁草履に変えた。体内を流れる電流が足の裏からアースに抜けるためだ。ゴム製品はアースに抜けないで、そのまま戻ってくる。その戻ってくる電流と下へ流れる電流がぶつかると、体内が汚染して病気を発生すると直感したので藁草履に変えた。ぼくの勝手な科学知です。(略)

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以降分は、つづき ません(歯切れが悪い)。

「横尾忠則千夜一夜日記」2016年日本経済新聞出版社刊より。
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posted by t.z at 10:03| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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