2017年10月30日

霞が関 経済産業省特許庁 夏目漱石「断片」より

文豪夏目漱石が書き残した数行の断片の中に、農商務省の内局特許局を揶揄する言葉が残っている(明治32年〜34年頃の執筆)。
特許局は、大正14年4月に農商務省の分割により商工省の外局となり、現在地(霞が関)に移転してきたのは、かなり古くて昭和9年8月末のこと。当時の番地表示では東京市麹町区三年町一番地となる。
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虎ノ門方向から溜池交差点を望む。画面中央が特許庁が入るビル。

現在の役所名に変更されたのは、通商産業省(現在の経済産業省)の設置に伴ってその外局となった昭和24年5月、それ以降は特許庁本庁舎の場所は変わっていない。
夏目漱石が特許を出願した明治30年代の農商務省特許局の在所はよくわからない。明治中期には、2・26事件に倒れた高橋是清が初代所長を兼任していたが、登庁していたのは、おそらく現在地から徒歩圏内であったろう。
夏目漱石に日本に生まれたことを恥だと謂わしめた役所、夏目漱石を門前払いにあしらった特許局、役人側に立ってみれば同情する余地はあるようだ。出願のキーワードは、イカ・キンタマ・インキ。
キンタマから絞り出す云々では、門前払いは当然か。
<<烏賊(いか)ノ睾丸を絞ってインキを製造する事を発明す。
  すなはち専売特許を願ふに審査官冷淡にして取り合はず。
  吾(われ)日本のごとき地に生れたるを恥づ。>>

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中央分離帯に特許庁前の標識が設置されている。2005年携帯のカメラで撮影。

「夏目漱石全集第1巻」1973年角川書店刊より。
夏目漱石リンク
難司ケ谷 夏目漱石墓改葬式典 井伏鱒二「五十何年前のこと」から http://zassha.seesaa.net/article/448168179.html
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posted by t.z at 09:51| Comment(0) | 東京東南部tokyo-southeast | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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