2017年11月07日

ミニギャラリー 京都御所

京都御所(内裏・禁裏)が現在の規模に近い形で再建されたのは、寛政2年(1790)であった(幕府老中松平定信の指揮)。そして慶応3年(1867)12月8日から9日にかけて、禁裏を舞台に王政復古クーデタが成功する。一夜のうちに討幕派がヘゲモニーを握り、薩摩・安芸・尾張・越前・土佐各藩の兵に出動命令が下され、会津・桑名の幕府兵は御所から退却する。長藩藩主父子の免罪、岩倉具視の謹慎解除、三条実美(さねとみ)の復位・入京が認められ、江戸幕府の廃止、天皇親政の論告が発布される。続いて開かれた夜の小御所会議で徳川氏の辞官・納地が命ぜられる。ここに江戸幕府は崩壊終焉を迎えた。

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宣秋門(ぎしゅうもん、公卿門)を入った所の御車寄(おくるまよせ)。清涼殿につながる。慶応3年12月9日の朝、復権なった岩倉具視らは、ここから参内。

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諸太夫(しょだいぶ)の間。参内した者の控えの間。身分によって異なる部屋が割り振られた。

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新御車寄(しんみくるまよせ)。大正4年の大正天皇即位礼に際し、南面から出入する伝統にのっとり新築された車寄。

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禁裏内からみた建礼門(南門)の内側。

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月華門。紫宸殿(ししんでん)前の南庭を通して東側の日華門をみる。

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建礼門の内側にある承明門(朱塗柱)からみた紫宸殿。東側に植えられた左近(さこん)の桜が望める。
最も格式の高い正殿である紫宸殿には、即位礼などで用いられる天皇の高御座(たかみくら)、皇后の御帳台(みちょうだい)が置かれている。高床式宮殿建築。

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清涼殿(せいりょうでん)。入母屋造桧(ひのき)皮葺きの寝殿造。

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清涼殿と滝口。

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清涼殿。

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王政復古の大号令が発せられた当日の夜になって開かれた小御所会議の場。武家との面会にも用いられた小御所(こごしょ)。

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小御所の北側に続く小庭、蹴鞠(けまり)の庭と御学問所(おがくもんじょ)。書院造。

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京都御苑案内板の幕末(慶応年間)の京都御苑周辺図。2012年撮影。

参考:「西郷隆盛全集第6巻」1980年大和書房刊
    京都御所一般公開用パンフレット
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posted by t.z at 23:54| Comment(0) | art-gallery | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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