海が割れるという奇跡を信じながら、二度までは到来することがなかった渡来人アンリ(安里)の心の物語。故国(フランス)への帰国という虚しい望みを捨て去り、信仰さへ失った心に、いまや安寧さへ訪れている。だが南の空が夕焼けに染まり、遠く垣間見える海の一線が緋色に輝くとき、アンリは建長寺の裏山勝上ケ岳に登らざるをえなくなる。
勝上嶽(しょうじょうけん=勝上ケ岳)を真後ろに控えて聳える建長寺三解脱門(山門)。江戸期創建。
<<文永九年の晩夏のことである。のちに必要になるので附加へると、文永九年は西暦千二百七十二年である。鎌倉建長寺裏の勝上(しょうじょう)ヶ岳へ、年老いた寺男と一人の少年が登ってゆく。寺男は夏のあひだも日ざかりに掃除をすまして、夕焼の美しそうな日には、日没前に勝上ヶ岳へ登るのを好んだ。
少年のはうは、いつも寺へ遊びに来る村童たちから、啞(おし)で聾(つんぼ)のために仲間外れにされてゐるのを、寺男が憐れんで、勝上ヶ岳の頂きまでつれてゆくのである。寺男の名は安里(アンリ)といふ。背丈はさう高くないが、澄み切った碧眼(へきがん)をしてゐる。鼻は高く、眼窩は深く、一見して常人の人相とはちがってゐる。そこで村の悪童どもは、蔭では安里と呼ばずに、「天狗」と呼びならはしてゐる。
話す言葉はすこしもをかしくない。それとわかる他国の訛(なまり)もない。安里は、この寺を開かれた大覚禅師蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)に伴われてここへ来てから、二十数年になるのである。>>
広大な建長寺境内に立つ案内板。左手に向かう道が勝上嶽展望台。
<<夏の日光が斜めになって、昭堂のあたりは日が山に遮られてすでに翳(かげ)ってゐる。山門はあたかも、影と日向とを堺にして聳(そび)えてゐる。木立の多い境内全体に、俄かに影の増してくる時刻である。しかし安里と少年ののぼってゆく勝上ヶ岳の西側は、まだ衰へない日光を浴びて、満山の蝉(せみ)の声がかしましい。草むした山道ぞひに、秋にさきがけて鮮やかな朱の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)がいくつか咲いてゐる。頂きに着いた二人は、汗を拭かずに、軽い山風が肌を涼しく乾かせてゆくに任せた。>>
勝上ヶ岳の頂きへ至る山道。森閑とした空気を切り裂くようにけたたましい鳥の鳴き声。
<<建長寺の塔頭の数々が、一望のもとに見える。西来庵、同契院、妙高院、宝珠院、天源院、竜峯院。山門のかたはらには大覚禅師が母国の宋から苗木を持って来られた槙柏(しんぱく)の若木が、晩夏の日を葉に集めて、ここからもそれとわかる。(略)>>
勝上ヶ岳の頂きは目前。のぼりきれば遠く稲村ケ崎の彼方にきらめく海が望めるのであろう。
建長寺開山、大覚禅師蘭渓道隆の略歴。
寛元4年(1246)3月、蘭渓道隆(33歳)、弟子義翁紹仁らと中国の成都より博多に着く。
翌年、京都に上る。さらに1年後(宝治2年)に鎌倉に下る。同年12月、道隆は常楽寺に住す。
建長元年(1249)、建長寺建立の地を地獄谷に定める。
建長5年(1253)11月25日、建長寺入仏供養、道隆が導師を務める。
建長7年2月21日、北条時頼の発願により銅鐘を鋳造(ちゅうぞう)。道隆が銘文を撰す。我国初の「禅寺」称号(建長禅寺住侍宋沙門と冠せられている)。銅造の鐘は国宝として現存。鐘銘は長いので省略。
弘安元年(1278)7月24日、蘭渓道隆示寂(66歳)。謚して大覚禅師と称す。我国の禅師号の始まり。
「海と夕焼」昭和30年1月号「群像」誌初出
「三島由紀夫全集19」2002年新潮社刊より抜粋
参考:「古寺巡礼 鎌倉 建長寺」1981年淡交社刊
三島由紀夫リンク
京都土御門町 安倍晴明邸址 三島由紀夫「花山院」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/372786698.html?1494827046
奈良 円照寺 三島由紀夫「春の雪」(豊饒の海・第一巻)より http://zassha.seesaa.net/article/442450850.html
目白 学習院 三島由紀夫「春の雪」(豊饒の海・第一巻)よりhttp://zassha.seesaa.net/article/454213185.html
目黒緑ヶ丘 三島由紀夫旧居跡 瀬戸内寂聴「奇縁まんだら」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/454227097.html?1508143791
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