2017年11月15日

ミニギャラリー 横浜本牧の三渓園

横浜本牧の三渓園(さんけいえん)は、素封家・原三渓(本名富太郎)の有する広大な邸宅・庭園(5万3千坪)を明治39年に一般に開園(一部分限定)したもの。三渓は、その財力にまかせて京都・鎌倉などから歴史的建造物を庭園内に移築収集し、国の重要文化財に指定されている建造物だけでも10を数える。ちなみに私事だが、三渓園と境界を接している間門(まかど)小学校が私の出身母校(生まれは東京滝野川だが)。今はすっかりブランド力を失ったが、本牧っ子なのだ(斜陽の美)。マイカル本牧が潰れて幾年が過ぎ去っただろうか。アロハカフェもいつの間にか何処かのビル内へ消え去ってしまった。付近への主要交通機関といえば、未だに市バスだけ。
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大池のかなたに旧・燈明寺三重塔を望む。

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臨春閣。

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臨春閣。

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聴秋閣へのアプローチにある茶亭(ただの休息所か?)。

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聴秋閣。

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旧・天瑞寺寿塔覆堂の飾扉。

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初音茶屋(手前)。 
ひとはかり うく香煎や 白湯の秋  大正4年初秋、三渓園を訪れ、初音茶屋で茶を愉しんだ芥川龍之介が三渓の息子(長男善一郎、府立第三中=都立両国高校時代の級友)に送った手紙に残した一句。
夏目漱石も三渓収集の美術品鑑賞のため訪れているが、資産家三渓との関係に一線を画し、訪れたこと自体を隠し、その日記に一言たりとも触れていない。夏目漱石の三渓邸での逸話は別項目で。

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横笛庵。横笛は建礼門院徳子に仕えた女官。「平家物語」に滝口入道との悲恋が語られる女性。

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旧・燈明寺本堂。三重塔とともに移築された。

旧・東慶寺仏殿(国指定重文)の写真は省略。北鎌倉の東慶寺は、明治維新を経て円覚寺の末寺となり、駆込寺(縁切寺)と称される元となった縁切の寺法も廃止され、寺は著しく衰退する。堂宇の修繕もままならない荒れ寺と化した東慶寺を見た原三渓は、明治40年に仏殿(室町期の永生6年=1509年築)を引き取り、修復ののち、三渓園でも奥まった場所に移築する。東慶寺仏殿(寛永11年築)は、駆込みで有名な石段と山門をくぐって、そのまま直進し、庫裏などを通り抜けた突き当りにあった。
北鎌倉の東慶寺の項目に含める予定。
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posted by t.z at 21:07| Comment(0) | art-gallery | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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