荒涼たる風景が広がる真冬の能登の海岸。輪島の西保海岸。
輪島キリコ会館を取材(TV番組だったか)した際に、御陣乗太鼓を紹介され、近くの海岸までご足労をお願いし演じていただいた、その時のリハーサルでのスナップ。30数年前のことで番組名などは記憶に残っていない。
イラストレーター安西水丸が、この祭事についてエッセイ「ちいさな城下町」に書いている。
<<(略)また余談になるが、能登に伝わる御陣乗太鼓という勇壮な太鼓がある。ぼくは好きでよくCDで聴いている。何でも上杉謙信が能登を攻めた時、数少ない守備軍が、大勢いるように見せかけるため、木の皮を剥いで作った面をかぶり、太鼓を打ち鳴らしたのがはじまりだという。上杉軍はこの太鼓に驚き退陣したと歴史は語っている。素人考えで申しわけないが、上杉謙信ともあろう武将が、太鼓の音ごときで軍を退(ひ)くだろうか。「田舎臭い太鼓など叩きおって」きっと謙信は馬鹿ばかしくなったのではないか。ぼくはおもっている。歴史や歴史本はことさら劣勢側に味方して書かれている場合が多い。(略)>>
「ちいさな城下町」2014年文藝春秋刊より抜粋。
「御陣乗太鼓」は、上杉謙信の七尾城攻略から能登全域の支配が完了した天正5年(1577年)9月までに、上杉勢に反抗した地元の郷士・神官らを中心にした漁師らの間に生まれた言い伝えが、名舟の神社の祭事として取り込まれていったものだろう。織田信長は、8月に上杉への手当として柴田勝家を大将にした軍団(傘下に秀吉、滝川一益ら)を北国に送り込むが、10月始めには謙信に追い立てられ、あえなく撤収している(「信長公記」巻10)。
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