この地を舞台にした短編「河童」を執筆した芥川龍之介には、つねに狂気をまとった繊細なイメージが付きまとうが、青年期(旧制中学時代=府立第三中=現・都立両国高校)の彼の素顔は、国内有数の山岳地帯を縦走した精悍なアルピニストとしての顔であった。日本人登山家として初めて槍ヶ岳登頂に成功(明治35年)したのは小島烏水(うすい)だが、芥川は、わずか7年後に槍ヶ岳に挑み成功している(小説「槍ヶ岳紀行」)。明治42年(1909年)8月8日、同級の中原安太郎ら5人のパーティでの挑戦であった。
この時、ベースキャンプ(温泉宿)とした上高地での体験が、後年(昭和2年初頭)の「河童」執筆に多くの材をもたらしている。「河童」脱稿は昭和2年2月4日、同年3月1日「改造」誌に発表。
穂高連峰を望む上高地の梓川と河童橋。
写真は、母親の実兄でありビルマ戦線で戦死した叔父が残したもの。撮影時期は昭和10〜14年頃と推測。
「芥川龍之介全集第9巻」1996年岩波書店より抜粋。
<<三年前の夏のことです。僕は人並みにリュック・サックを背負い、あの上高地の温泉宿から穂高山へ登ろうとしました。穂高山へ登るのには御承知のとおり梓川(あずさがわ)をさかのぼるほかはありません。
僕は前に穂高山はもちろん、槍ヶ岳にも登っていましたから、朝霧の下りた梓川の谷を案内者もつれずに登つてゆきました。朝霧の下りた梓川の谷を――しかしその霧はいつまでたつても晴れる景色は見えません。のみならずかえつて深くなるのです。僕は一時間ばかり歩いた後、一度は上高地の温泉宿へ引き返すことにしようかと思いました。けれども上高地へ引き返すにしても、とにかく霧の晴れるのを待った上にしなければなりません。といつて霧は一刻ごとにずんずん深くなるばかりなのです。
「ええ、いつそ登つてしまえ。」――僕はこう考えましたから、梓川の谷を離れないように熊笹の中を分けてゆきました。(略)
僕は水ぎわの岩に腰かけ、とりあえず食事にとりかかりました。コオンド・ビイフの罐を切つたり、枯れ枝を集めて火をつけたり、――そんなことをしているうちにかれこれ十分はたつたでしょう。その間にどこまでも意地の悪い霧はいつかほのぼのと晴れかかりました。僕はパンをかじりながら、ちよつと腕時計をのぞいてみました。時刻はもう一時二十分過ぎです。が、それよりも驚いたのは何か気味の悪い顔が一つ、円い腕時計の硝子の上へちらりと影を落としたことです。僕は驚いてふり返りました。すると、――僕が河童(かっぱ)というものを見たのは実にこの時がはじめてだつたのです。僕の後ろにある岩の上には画にあるとおりの河童が一匹、片手は白樺の幹を抱え、片手は目の上にかざしたなり、珍しそうに僕を見おろしていました。
僕は呆(あ)つ気にとられたまま、しばらくは身動きもしずにいました。河童もやはり驚いたとみえ、目の上の手さえ動かしません。そのうちに僕は飛び立つが早いか、岩の上の河童へおどりかかりました。同時にまた河童も逃げ出しました。(略)
それから僕は三十分ばかり、熊笹を突きぬけ、岩を飛び越え、遮二無二(しゃにむに)河童を追いつづけました。河童もまた足の早いことは決して猿などに劣りません。僕は夢中になつて追いかける間に何度もその姿を見失おうとしました。のみならず足をすべらして転がつたこともたびたびです。が、大きい橡(とち)の木が一本、太ぶとと枝を張つた下へ来ると、幸いにも放牧の牛が一匹、河童の往く先へ立ちふさがりました。しかもそれは角の太い、目を血走らせた牡牛(おうし)なのです。河童はこの牡牛を見ると、何か悲鳴をあげながら、ひときわ高い熊笹の中へもんどりを打つように飛び込みました。僕は、――僕も「しめた」と思いましたから、いきなりそのあとへ追いすがりました。するとそこには僕の知らない穴でもあいていたのでしょう。僕は滑らかな河童の背中にやつと指先がさわつたと思うと、たちまち深い闇の中へまつさかさまに転げ落ちました。が、我々人間の心はこういう危機一髪の際にも途方もないことを考えるものです。僕は「あつ」と思う拍子にあの上高地の温泉宿のそばに「河童橋」という橋があるのを思い出しました。それから、――それから先のことは覚えていません。僕はただ目の前に稲妻に似たものを感じたぎり、いつの間にか正気を失つていました。>>
参考:「芥川龍之介 年表作家読本」1992年河出書房新社刊
芥川龍之介リンク
鎌倉 芥川龍之介の野間洗濯店下宿跡(和田塚) http://zassha.seesaa.net/article/22009376.html?1475175742
横須賀 横須賀線と芥川龍之介「蜜柑(みかん)」 http://zassha.seesaa.net/article/442379617.html
日比谷 日比谷公園 芥川龍之介「東洋の秋」より http://zassha.seesaa.net/article/133612257.html 2009年11月22日
京都 芥川龍之介と宇野浩二の女買いの顛末記 http://zassha.seesaa.net/article/394984566.html
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