2017年11月25日

ミニギャラリー 北鎌倉・東慶寺の紅葉

北鎌倉の古刹松岡山東慶寺境内の紅葉。
江戸時代には、旦那(夫)は思うがままに妻を離縁できたが、妻の側ではそれができないという掟があった。どうしても離縁したい妻のために鎌倉に「寺法離縁」がなせる幕府寺社奉行直轄の東慶寺が存在していた。妻は東慶寺に駆け込み入山(当時は尼寺)して、2年間の勤めを済ませば離縁が成立した。その後の再婚も可能となった。縁切寺と称された尼寺東慶寺も明治維新の波をかぶり、縁切の寺法も明治3年には廃されてしまった。
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時を遡れば東慶寺には豊臣家滅亡にまつわる秘話も残されている。大坂城が炎に包まれ秀頼が自決した翌年、秀頼の息女天秀尼が、大坂城を脱出した千姫(家康の孫)の養女となり命を永らえて東慶寺に入る。後に東慶寺第20世住持となったのは豊臣秀吉の孫娘であったのだ。
もう一つエピソード!?。この紅葉の写真の撮影は2009年12月1日、8年がたとうとしている。北鎌倉の駆け込み寺・東慶寺を舞台にした小説、井上ひさしの「東慶寺花だより」(映画化されDVDもリリースされている)をイメージできる四季の写真を撮る撮るといっていながら無駄に時が過ぎ去っている。春、夏、秋は撮っているが、枯れ落葉を焚く煙が紗幕でもかぶったようにたなびく初冬の風景が撮れていない。
明日(25日)、北鎌倉の撮影を予定していたが、まだ紅葉まっさかりで、霜が降りたような、吐く息が白くなるような初冬のイメージには遠いようだ。で、夜更かしオッサンになって〇〇〇している。
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posted by t.z at 02:23| Comment(0) | art-gallery | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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