「朱雀日記」(嵯峨野の章)より抜粋。
<<(略)夢窓國師を開山に戴き、近く峨山和尚に依つて再建せられた天龍寺の少し先から、左へ曲ると、鬱蒼たる竹藪の中を一條の小徑(こみち)がうねつて居る。
竹藪の雅到は、東京の郊外などを歩いたのでは、全くわからない。細い真直な幹が、すくすくと列び立ち、日光の洩れる隙もない程に密生して、藪の中が奥の奥まで青暗くなつて居る。
徑(こみち)は再び平坦な野原に出て、左に亀山、右に小倉山を望む。所謂(いわゆる)嵯峨野とは此の二つの山の間を稱(しょう)するのだと云ふ。(略)>>

「天龍寺の少し先から、左へ曲ると」と描写された場所。ここを曲ると竹林へと誘われる。

鬱蒼とした竹林へのとば口。観光客を乗せた人力車が竹のトンネルに吸込まれてゆく。

「密生して、藪の中が奥の奥まで青暗くなつて居る」。谷崎が見た青暗くなつた竹林は今日でもほぼ同様に目にできる。2011年〜2012年にかけての撮影だが、春秋の観光シーズンにあたると一方通行にしたいほど混雑する。無人の状態で竹林のくねった小経をカメラに収めることは困難。早朝に訪れるしかない。

竹林を抜けると「左に亀山、右に小倉山を望む」。
谷崎潤一郎は、竹林のくねった経(みち)を北に抜けて、今度は左に小倉山を望みながら、かって俳諧師・去来が侘び住まいをしていた落柿舎(らくししゃ)に歩を進める。去来の墓(墓石にしては小さすぎる、片手で持ち上げられるほど小さい)に詣でるが、たいした感慨を述べることなく、せわしなく足早に二尊院の山門に消えてゆく。
「朱雀日記」明治45年(1912年)4〜5月大阪毎日新聞(東京日日新聞)連載初出。
「谷崎潤一郎全集第1巻」1981年中央公論社刊(「朱雀日記」収録)より
谷崎潤一郎リンク
神田南神保町 谷崎潤一郎の文壇デビュー 「青春物語」より http://zassha.seesaa.net/article/443072199.html
京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/442840656.html
京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/443206554.html
大阪船場・御霊神社 御霊文楽座 谷崎潤一郎「青春物語」より http://zassha.seesaa.net/article/443158094.html
目白 谷崎潤一郎の仕事部屋 谷崎松子「倚松庵の夢」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/448091444.html?1489817860
大阪南 旅館(待合)千福とカフエ・ユニオン 谷崎潤一郎「芥川龍之介が結ぶの神」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/432273298.html?1493981055
京都宇治 平等院鳳凰堂 谷崎潤一郎「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/423690257.html
京都島原 角屋(すみや) 谷崎潤一郎 「朱雀日記」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/424681960.html?1494858522
【関連する記事】
- 京都 薩摩藩定宿鍵屋跡 織田作之助「月照」より
- 京都 五山送り火 水上勉「折々の散歩道」より
- 京都 南禅寺三門 松本清張「球形の荒野」より
- 比叡山延暦寺西塔 弁慶伝説 海音寺潮五郎「源義経」・「吾妻鏡」より
- 京都祇園 料亭備前屋 織田作之助「それでも私は行く」から
- 京都 錦市場 荒木陽子「長編旅日記 アワビステーキへの道」より
- 京都三条木屋町 大村益次郎の遭難 「木戸孝允日記」より
- 京都・四条河原町 喫茶・築地 「荒木陽子全愛情集」より
- 京都宇治 萬福寺 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都 四条河原町 喫茶ソワレ
- 京都百万遍 梁山泊と思文閣MS 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より
- 京都 八坂庚申堂 くくり猿
- 京都伏見 第十六師団第九連隊輜重隊跡 水上勉「私の履歴書」より
- 京都 山科 志賀直哉邸跡 「山科の記憶」より
- 京都 嵯峨院跡・大沢池 白洲正子「幻の山荘」より
- 京都河原町二条 香雪軒 谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」より
- 京都伏見 淀古城 谷崎潤一郎「盲目物語」より
- 京都八幡市 橋本遊郭跡 野坂昭如「濡れ暦」より
- 京都嵯峨朝日町 車折神社 谷崎潤一郎「朱雀日記」より
- 京都・丸太町橋際 中原中也「ダダイスト新吉の詩」に出会う