百万遍の交差点から今出川通を西に数十m歩けば、水上勉が仕事場に借りていた思文閣マンションに着く。マンションの手前角を南に入った路地に、マンションと向かい合うように梁山泊の玄関が開いている。

水上勉には花が誘う京都案内と銘打った随筆集「京都花暦」がある。梁山泊のアプローチはまさに花に誘われておもわず迷い込みそうな風情をみせている。

水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」1993年小学館刊より抜粋。
<<夏がくると水道の水がまずくなる。これは京にかぎらない。都会の水は消毒剤の匂いがしてくるのだ。借間から歩いて三分のこの店の戸口に、井戸が掘ってある。特定の一般人に水がもらえる。地下水の汲み出したのが蛇口をひねると出てくる。ぼくは店主の橋本憲一さんから鍵を一つ、手わたされている。夜なかにタツパー容器をもって、頂戴にはしる。雨がふっても、傘なしで走ってゆける。それくらいの距離なのである。この水のおいしいのは、古都千年の、つまり比叡の山みずが地下をくぐつてくるからだ。ずうーつと湧きつづけていたのを掘りあてたのだ。ここは泉殿町という。となりは飛鳥井だ。大昔はやんごとない公家衆のおうちから、手桶をもった上女中さんが水汲みにきたのかもしれん。そんな風景を想像しながら画帖をひろげているのである。
梁山泊(りようざんぱく)とは、水滸伝(すいこでん)に出てくるあの武将たちの屯所の名である。よくはやる店である。カウンターの隅にすわって、チビチビやりながら、アベックさんの話を何げなくきく夕刻はたのしい。ぼくは心臓病患者なので、塩ぬき料理しか喰えない。それゆえ、店主自慢の丹波地鶏も新鮮な魚の塩焼きも眼でたべている。>>

作家瀬戸内寂聴もこの水上勉の仕事場を訪れたと記している。
<<東京のお宅にも、御自慢の軽井沢の別荘にも伺ったことはないが、故郷の若狭に私財を投じて建てた「若州一滴文庫」は訪れているし、晩年の棲家となった信州の勘六山の別荘にも訪ねている。京都の仕事場、思文閣のマンションにも行っている。>>「奇縁まんだら」2008年日経新聞出版社より

なほ、この思文閣マンションの1階で40年以上にわたり様々な企画展示を続けてきた思文閣美術館が今年(2017年3月)をもって閉館し、移転している。
水上勉リンク
京都 水上勉が贔屓にした京漬物店 出町なかにしhttp://zassha.seesaa.net/article/385952842.html
京都伏見 第十六師団第九連隊輜重隊跡 水上勉「私の履歴書」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/448183567.html
京都宇治 萬福寺 水上勉「画文歳時記 折々の散歩道」より http://zassha.seesaa.net/article/455418803.html
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