2018年01月04日

長崎・鍛冶屋町 レストラン銀嶺 「荒木陽子全愛情集」より

写真家荒木経惟(のぶよし)と陽子夫人の新婚旅行(センチメンタルな旅・1971年7月)は、青山での挙式・披露宴の後、まずは京都に移動し1泊。翌朝から京見物に繰り出し、行き違いはあったもののどうにか大阪港に移動し、別府行きの関西汽船に乗り込む。夜の瀬戸内海をすべるように進む新婚夫婦を乗せた客船は、翌朝早く別府港に入る。大牟田経由で柳川に移動した夫妻は、旧・立花藩の武家屋敷跡を利用した和風旅館にチェックイン、鰻(うなぎ)の蒲焼を食したあと(連チャンで鰻を食べまくったようだ)、陽光降り注ぐ広い庭園でさっそくヌード撮影、新婦陽子さんはさっとTシャツを脱ぎ棄てる(上半身裸のジーンズ姿の数葉が写真集に組入れられている)。宿の裏門を抜けた先の小さな木橋から船下りの光景を目にした陽子さんは、さっそく翌日のプランに組み込む。

以下、荒木経惟写真集「わが愛、陽子」収録の荒木陽子書下しエッセイから抜粋。
<<船下りを終えて宿に帰り、風呂の帰りに売店に寄ると、白秋の「思ひ出」の復刻版を売っていた。近くにある白秋の生家にも立ち寄らなかった私達は、柳川を出て長崎に向かう汽車の中で、その色硝子のような言葉の世界に魅せられていた。
 最終目的地の長崎に着いて「銀鈴(ママ)」というレストラン(*正しくは「銀嶺」)に入った。装飾的な古いランプやギヤマンの器などが、礼拝堂のような感じのするうす暗い室内にたくさん飾られており、その長崎的雰囲気の中でステーキを食べた。>>
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当時、市内鍛冶屋町にあった「レストラン銀嶺」。1930年(昭和5年)創業の老舗レストランで
全国的に知名度が高かった。そのようなレストランを陽子さんが見逃すはずがない。
写真は、1970年代後半にTV番組ロケで長崎を訪れた際にキャスト(女優吉行和子さん)・スタッフ一同で
夕食に立ち寄った時のもの。店頭などを撮影した記憶があるがネガが見つからない。白い台紙に貼った
コースター(上写真)が残っているだけ。
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市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋(国内最古の石橋。長崎大水害で損壊する前の旧橋と両岸の風景)。長崎大水害(1982年7月23日〜24日、1時間187mmの猛烈な降雨を観測)で市内は激甚な被害を受け、この時に「レストラン銀嶺」も閉鎖されたと思える。右手やや後方300mほどの所に店があった。現在は長崎歴史文化博物館内に移って営業中。
nagasaki ginrei03.jpg 
<<帰路は、寝台車で十何時間も揺られ、やっと東京に着く。二人ともさすがにクタクタに疲れていた。
これが以前だったら、それではさようなら、とお互いの家に帰るところだが、今日から旅に出ても同じ家
に帰るわけだ。フシギな気持ちがする。新居はアパートのlKの部屋(*三ノ輪)である。狭い部屋では
あるが、新しい生活のベースキャンプである。(略)>>

荒木経惟写真集「わが愛、陽子」1978年朝日ソノラマ刊(荒木陽子書下し7篇収録)より。
「荒木陽子全愛情集」2017年港の人(鎌倉市)刊

荒木経惟リンク
世田谷 写真家荒木経惟(アラーキー)の陽子もチロもいない新家http://zassha.seesaa.net/article/400445825.html
豪徳寺 写真家荒木経惟(アラーキー)と陽子とチロの遺家http://zassha.seesaa.net/article/284210221.html
原宿 荒木経惟「文化写真」 展(ミニギャラリー) http://zassha.seesaa.net/article/454860200.html
京都・四条河原町 喫茶・築地http://zassha.seesaa.net/article/455847835.html
渋谷 青学会館 荒木経惟・陽子夫妻の挙式会場http://zassha.seesaa.net/article/455890811.html
鎌倉 近代美術館付属カフェ<ラ・ミュゼ> 「荒木陽子全愛情集」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/456022608.html


posted by t.z at 19:27| Comment(0) | 各地various parts of japan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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