以下、荒木経惟写真集「わが愛、陽子」収録の荒木陽子書下しエッセイから抜粋。
<<船下りを終えて宿に帰り、風呂の帰りに売店に寄ると、白秋の「思ひ出」の復刻版を売っていた。近くにある白秋の生家にも立ち寄らなかった私達は、柳川を出て長崎に向かう汽車の中で、その色硝子のような言葉の世界に魅せられていた。
最終目的地の長崎に着いて「銀鈴(ママ)」というレストラン(*正しくは「銀嶺」)に入った。装飾的な古いランプやギヤマンの器などが、礼拝堂のような感じのするうす暗い室内にたくさん飾られており、その長崎的雰囲気の中でステーキを食べた。>>
当時、市内鍛冶屋町にあった「レストラン銀嶺」。1930年(昭和5年)創業の老舗レストランで
全国的に知名度が高かった。そのようなレストランを陽子さんが見逃すはずがない。
写真は、1970年代後半にTV番組ロケで長崎を訪れた際にキャスト(女優吉行和子さん)・スタッフ一同で
夕食に立ち寄った時のもの。店頭などを撮影した記憶があるがネガが見つからない。白い台紙に貼った
コースター(上写真)が残っているだけ。
市内を流れる中島川に架かる眼鏡橋(国内最古の石橋。長崎大水害で損壊する前の旧橋と両岸の風景)。長崎大水害(1982年7月23日〜24日、1時間187mmの猛烈な降雨を観測)で市内は激甚な被害を受け、この時に「レストラン銀嶺」も閉鎖されたと思える。右手やや後方300mほどの所に店があった。現在は長崎歴史文化博物館内に移って営業中。
<<帰路は、寝台車で十何時間も揺られ、やっと東京に着く。二人ともさすがにクタクタに疲れていた。
これが以前だったら、それではさようなら、とお互いの家に帰るところだが、今日から旅に出ても同じ家
に帰るわけだ。フシギな気持ちがする。新居はアパートのlKの部屋(*三ノ輪)である。狭い部屋では
あるが、新しい生活のベースキャンプである。(略)>>
荒木経惟写真集「わが愛、陽子」1978年朝日ソノラマ刊(荒木陽子書下し7篇収録)より。
「荒木陽子全愛情集」2017年港の人(鎌倉市)刊
荒木経惟リンク
世田谷 写真家荒木経惟(アラーキー)の陽子もチロもいない新家http://zassha.seesaa.net/article/400445825.html
豪徳寺 写真家荒木経惟(アラーキー)と陽子とチロの遺家http://zassha.seesaa.net/article/284210221.html
原宿 荒木経惟「文化写真」 展(ミニギャラリー) http://zassha.seesaa.net/article/454860200.html
京都・四条河原町 喫茶・築地http://zassha.seesaa.net/article/455847835.html
渋谷 青学会館 荒木経惟・陽子夫妻の挙式会場http://zassha.seesaa.net/article/455890811.html
鎌倉 近代美術館付属カフェ<ラ・ミュゼ> 「荒木陽子全愛情集」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/456022608.html
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