井上作品に登場する多くの固有名詞にかかわる表現が、置き換え・ぼかし・モザイクで処理でされており、疑いを持たずに信じたら危ういことになる。四谷新道(しんみち)通りの新婚時代に移り暮らした住居も、ある年譜には小説に登場する「畳屋」の作業場の2階のままであったり、「モッキンポット師」シリーズでも迂闊に信じてイメージしてはいけない場面が散見できる。本文に登場する「中村畳店」も実際には存在せず、「中村」は大家さん所有の作業場のすぐ北隣の家から名義を拝借したものであろう。
短編「ナイン」に登場する野球場は、変わりなく同じ場所に存在し、そのまま現在も残っている(設備等が若干バージョンアップされている)。表現にいちいち疑いをはさまずに読み進めて大丈夫だ。ナインを結びつける西日にも素直に感情移入していける。西日をチームメイトが遮る肝心な場面は割愛、抜粋していないので小説を各自読んでください。

四谷駅から<外堀通りをだらだらと市ヶ谷の方へくだって>きて、堀跡へ下りる公園のプロムナード。
写真右側が外堀通り、左に四谷駅とJR総武線。
「ナイン」1987年講談社刊より抜萃。
<<四ツ谷駅を新宿側に出て外堀通りをだらだらと市ヶ谷の方へくだって行くと三角形の公園がある。そこが外濠公園野球場だ。公園は外堀通りから一段低い堀を埋めてつくられている。当時は、野球場はまだ金網でかこわれてはおらず、外堀通りから土手を下りて球場に立つことができた。土手には桜の木が植えてあったが、この土手が一塁側とネット裏スタンドになった。つまり三塁側のチームはいつも陽に灼かれていなければならないが、一塁側のチームはすくなくとも自軍の攻撃中は桜の土手のつくる日陰の下で汗を拭くことができる。あの夏の一日、三塁側に陣取った新道少年野球団はきっと死ぬほど辛かったろう。
(略)>>

日陰の1塁側から日差しのきつい三塁側ベンチを見る。

三塁側に陣取ったのが新道(しんみち)少年野球団。現在は日除けが設置されている。

現在もこの野球場は地元周辺の少年野球チームの息詰まる熱戦が繰り広げられている。
<<中村畳店から、わたしは外堀通りを市ヶ谷へ向った。金網越しに野球場を見ると、木枯しに吹き上げられた砂煙がグラウンドを走り回っている。振り返えって西を見ると、大会社の巨きなビルが野球場に覆いかぶさるように立っていた。この十何年かのうちに、ここには西日がささなくなってしまったようである。
(略)>>
*撮影2015年7月
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