長濱八幡宮の創建は、社伝に基づけば延久元年(1069年)に源義家(玄孫が源頼朝)の奏請により、後三条天皇の命で、石清水(いわしみず)八幡宮(京都八幡市)から分祀、勧請されたという。鎌倉後期から現れる八幡荘の鎮守とされる。戦国期の兵火により社殿の多くが焼失したが、織田信長から浅井(あざい)氏旧領を拝領した羽柴秀吉が、居城とする長浜城を築城する頃(社地免除は天正2年)には、城下に社坊70を数えたという。元和3年(1617年)、2代将軍徳川秀忠は、八幡庄内(11郷)の社地170石を安堵(20石は舎那院)している。明治新政府の神仏分離政策により、八幡宮と舎那院(八幡宮の東隣)に分離され、他の社坊は消滅した。
時間がゆったりと流れる参道口。右奥の郵便ポストが四角い形状の今風なポストに変わっている。
もう少し古写真のアングルに合わせればよかった。
長い参道の傍らには芭蕉(はせを)句碑が建つ。碑陰に建立年は刻まれていない。
春の例祭「長浜曳山まつり」(4月15日)。
境内の何処に曳山が勢揃いしていたのか、まったく記憶に残っていない。
能舞台を構える長浜八幡宮は江戸期の能装束(紅地扇面散文様唐織能装束など2領・県指定有形文化
財)を所蔵している。
長浜曳山祭の江戸期の山車13基(長刀山・月宮殿・春日山など)は県の有形民俗文化財に指定。
天満宮(祭神・菅原道真)。誰でも知っている学問守護の神。
金刀比羅宮・河濯(かわそぎ)神社(祭神・瀬織津姫命せおりつひめのみこと) 。6月・12月の晦日に
斎行される信仰神事(大祓の神)は本邦最古。
小さい子供も今では40歳代となっている。元気にしていられるだろうか。
放生池。
明治維新で分離された真言宗勝軍山舎那院。平安・鎌倉期の3点の国指定重要文化財を蔵している。
本尊愛染明王坐像、阿弥陀如来坐像を国宝とする石柱が門前に建っている。他の1点は画像で絹本著色
三月経曼荼羅図。参考にした「寺院神社大事典」では、県指定文化財の絹本著色不動明王像(画像)も
重文扱いにしている。
参考:「寺院神社大事典 近江・若狭・越前」1997年刊
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