小町大路を歩いていると、古都鎌倉の中心部を流れ下る滑川(なめりがわ)の水音にふと気付く。
きらめく川面(かわも)に視線を落としていると、いつしか吹き抜ける風にのって悠久の時の流れが重なりあい始める。そこかしこに響きあう過去と現在。流れとともに漂いだした想念は、いつしか由比ガ浜か材木座海岸か・・・・いつまでもボーとしてんじゃないよ、そこのオッサン。
夷堂橋(えびすどうばし)から見た本覚寺山門。写真右側が上流となる。
<滑川哀歌>より
鎌倉を流れる最大の川は滑川
ナメリガワ
「鎌倉攬勝考(らんしょうこう)」巻之一には
「一流にして六名」とあり
くるみヶ谷にては胡桃川
浄妙寺前に至りて滑川と呼び
またその下流にては坐禅川
小町辺にては夷堂川と唱え
延命寺辺より大鳥居辺に至りすみうり川と称し
閻魔堂(えんまどう)の前にては閻魔堂川という
つまり滑川は名前を六回変えながら
鎌倉の町のなかを貫流する
滑川にかかる東勝寺橋を渡って右に行くと
東勝寺跡
北条一族は滅び
高時(*)は井戸のそばで切腹し身を投じる
東勝寺は、
「東ガ勝ツ」ことを祈願して建立されたのに
あっけなく敗北した
このあと
ぼくの若い日本は
南朝側と北朝側に分裂して内乱状態をむかえてさ
小町橋から下流方向をながめる。
閻魔橋から上流方向。
東勝寺橋上から流れ下る滑川。
ハラキリ・ヤグラのすぐとなりに修道院
レデンプトリスチン修道院(*)
神サマと結婚した美しいシスターたちの館は
ぼくの目には壮麗に映る
鎌倉は
かつては鎌倉五山 真言宗 法華の太鼓がひびく仏教の町で
それはいまでもそうなのだが
明治レボリュウション以後
讃美歌もこの町の軒から軒へ
路地から路地へ風にのって流れることになった
(略)
鎌倉幕府滅亡の地、東勝寺跡。奥の斜面下に今もレデンプトリスチン修道院がある。
(*)北条高時 鎌倉幕府執権
(*)レデンプトリスチン修道院 鎌倉市小町3-10-6 東勝寺跡西側
田村隆一詩集「ぼくの鎌倉八景 夜の江ノ電」1987年沖積舎刊より
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