日本橋小網町の西郷邸は、現在の日本橋人形町1丁目1〜日本橋小網町14番〜日本橋牡蠣殻町1丁目10〜13番地にかけての広大な土地(2633坪)に建てられることになった。
日本橋小網町の西郷邸跡。屋敷内の長屋には15人ほどの書生が住み込み、下僕を7人(熊吉ら)、猟犬は数頭を飼っていたと伝わる。
この年の6月、大久保利通に説得され西郷は参議になることを承諾する。6月25日に平隆盛の名で参議の辞令をうけ、正三位に叙されている。隆盛の名が初めて使われたのは、明治2年(1869年)12月25日に藩主島津忠義の名代で位記返上願いの案文を書いた時だ。この中で初めて「隆盛」の名が使われている。
翌月(明治4年7月)、勅許により委任状が与えられ、制度取調会で廃藩置県が審議され、9日に西郷は、木戸邸(現・靖国神社裏)で廃藩置県について密議。13日参朝し、朝議にて翌日の廃藩置県を決定している。封建制の廃絶という大仕事を主導したのだ。
日本橋小学校付近一帯が西郷隆盛邸跡。
明治6年(1873年)西郷隆盛47歳、この年の10月23日、朝鮮派遣使節の中止が決まり、西郷は胸痛を理由として陸軍大将兼参議・近衛都督の辞表を提出、位記返上も申し出ている。即座に従者小牧新次郎と家僕熊吉を伴って、日本橋小網町の自邸を出立、小梅村の庄内藩御用達米問屋越後屋の別業に身を寄せる。翌々日には、副島種臣・後藤象二郎・板垣退助・江藤新平らの参議が一斉に辞職。28日、西郷は横浜から鹿児島に向けて出帆、以降二度と東京の地を踏むことはなかった。
参考 「西郷隆盛全集第6巻」1980年大和書房
都中央区教育委員会の西郷屋敷説明版
西郷隆盛リンク
京都 薩摩藩定宿鍵屋跡 織田作之助「月照」よりhttp://zassha.seesaa.net/article/460256257.html
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