2018年08月23日

早稲田 三朝庵(閉店) 井伏鱒二「大正七・八・九年ごろ」より

早稲田通り馬場下町交差点角地で明治年間(明治39年に借地で営業開始)より蕎麦屋を営業し、「早稲田最老舗」の看板を掲げる<三朝庵(さんちょうあん)>が、7月31日(火曜)の営業をもって突然閉店した。
元大隈家御用・元近衛騎兵連隊御用の掛看板が入口にかかる老舗の暖簾をくぐると、銭湯の番台に似た食券売り場があり、これがとてもユニークで、そこに座る4代目女将・加藤峯子さんの姿と共にいつまでも記憶にとどまる。三朝庵の初代店主・朝治郎から代を重ねた(五代目加藤浩志まで)早稲田の老舗蕎麦屋の灯が消えた。
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7月31日の営業終了後に貼られた閉店の挨拶。

太宰治の師で早稲田大学出身の作家井伏鱒二のエッセイ「大正七・八・九年ごろ」から<三朝庵>に関した部分を抜粋。
<<せんだって用件があって早稲田大学の門前街に行ったので、ついでだと思って、殆ど四十年ぶりに三朝庵の蕎麦を食った。土間の壁に「大隈家御用」という昔ながらの看板を掛けてあった。黒く塗った板に刻字は胡粉の白である。看板というよりも掛札と云った方がいいかもしれぬ。早稲田大学の歴史に興味を持つ人は、この掛札を一応は注目する筈である。よくも焼けないで残っていたものものだと思う。私は大正六年に早稲田大学の予科に入学し在学中は学校をよく休んだが三朝庵にはよく行った。(略)>> 
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初代朝治郎の考案になる<卵とじかつ丼>780円
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番台で注文した食券の半券。撮影は2007年9月。

参考
「井伏鱒二全集別巻2」筑摩書房2000年
五代目の弟(?)であり漫画家の<レイジロさん‏ @reijirosan>のツイッター
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posted by t.z at 02:50| Comment(0) | 東京北西部tokyo-northwest | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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